地域の歴史を知り、学び、そして楽しむ――港北区の歴史、そして文化、そこに生きる人が歩む足跡を記録し、分かちあうことで、新たな未来を描こうという新連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」を、今年(2021年)1月からスタート。
港北区内を12の地区に分けて、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きといった「まち歩きスポット」を紹介するというコンセプトで、著書『わがまち港北2』(2014年5月発行)、『わがまち港北3』(2020年11月発行)の著者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)の取材・執筆によるエッセイを掲載しています。
横浜市の北部に位置し、市内で最多の人口を持つ「港北区」の過去、そして今を知り、学び、そしてそれについて語れる貴重な機会、ぜひ、前回の掲載記事(日吉地区~前編・後編)とともに、今回のエッセイ記事もお楽しみください。
※「新横浜新聞~しんよこ新聞」と「横浜日吉新聞」の共通記事です。
こうほく歴史まち歩き【第3回】「菊名」(前編)ー新横浜周辺―
日吉地区に続いて、今回は「菊名(きくな)地区」です。
「菊名」という地名の由来は諸説あり、(1)相模国三浦郡菊名邑(むら)の菊名一族が移住してきて開発したから、(2)蓮勝寺の山号である「菊名山」から名付けられた、(3)「キク」は、「クク(包み込む)」「クキ(山の峰)」から転じたもので、丘がせり出し、谷戸が入り込んだ地形から名付けられたとも考えられています。
「菊名」ということで、菊名駅の周辺や、住所としての菊名(1丁目から7丁目)が範囲としてイメージされますが、実際には菊名4丁目から7丁目、錦が丘、篠原北、大豆戸町、新横浜などが菊名地区の範囲となります。
菊名駅だけでなく、新横浜駅や大倉山駅の周辺までを含むかなりの広範囲です(詳しくは「菊名地区(1)―地域の成り立ち、その3―」『わがまち港北3』57~58頁もご覧ください)。
一度では紹介しきれませんので、菊名地区も前編・後編の2回に分け、今回の前編は港北区役所から新横浜駅周辺にかけてご紹介します。
(1)区役所・公会堂・公的機関や施設と町名の由来(大豆戸町)
港北区民なら誰もが訪れる港北区役所は、大豆戸町にあります。
「大豆戸町」は「まめどちょう」と読みます。
「大豆戸」の交差点が、交通量の比較的多い環状2号線と綱島街道の交点にあり、通りがかりに「大豆戸」と表記された信号を目にする人が多いせいか、難読地名としてよく話題に上がります。
なぜ「大豆戸」なのか、なぜ「大豆」と書いて「マメ」と読むのか、その由来については、(1)師岡熊野神社に大豆を献上しており、大豆のことを「マメ」と呼んでいたことから、(2)「大豆戸」は崖のある地形を意味する「ママド(真間処)」「マミド」が変化したもので、漢字は当て字である、(3)現在の埼玉県比企郡鳩山町にも「大豆戸」という地名があり、そこに住んでいた金子一族が移住して同じ大豆戸の地名を付けたとする説など、こちらも菊名と同様に諸説あります。しかしその真偽はやはり不明です。
1939(昭和14)年に港北区が誕生して以来、区役所は何度か移転・建て替えをしていますが、現在の場所になったのは1978(昭和53)年です。
隣接する港北公会堂も同年開館しました。港北公会堂は昨年5月から天井脱落対策工事で休館しており、今年4月1日にリニューアルオープンして、記念イベントが開催される予定でした。しかし、2月16日に新型コロナウイルスワクチンの接種会場に決定したことが発表され、4月以降も6月30日まで一般利用が出来なくなりました。
筆者も港北区民ミュージカルの観劇をはじめ、何度も訪れている港北公会堂、新装なった公会堂のお披露目を楽しみにしていただけに残念ですが、公会堂のツイッター(Twitter)には設備が新しくなっていく公会堂の様子が画像付きで紹介されていました。
ツイッターでは、予約申込受付の期日といった施設利用に関する情報の他、周辺に咲く花やそこにやってきた鳥のことなど美しい写真も添えて呟(つぶや)かれています。こちらをチェックしつつ、利用再開の日を待ちたいと思います。
港北区役所・港北公会堂の周辺には、港北消防署(区役所と同じ総合庁舎内)や港北区社会福祉協議会などもあります。
また、神奈川税務署、港北年金事務所、港北スポーツセンター、港北警察署、港北国際交流ラウンジなども大豆戸町にあり、区内の官庁や主要施設の多くが大豆戸町に集中しています。
(2)横浜アリーナ(新横浜)
区役所前から大豆戸の交差点を通過し、環状2号線を南西に進んでいくと、新横浜駅に着く手前に横浜アリーナがあります。ちなみに私と港北区の出会いは、26年前の横浜アリーナでのコンサートでした。
港北区、あるいは横浜との最初の接点が横浜アリーナという方は、きっと私だけではないと思います。
私が初めて横浜アリーナに行ったのは1995(平成7)年で、当時は横浜アリーナへ行くまでにダフ屋(チケットの転売屋)が立っていたり、コピーグッズの販売を行う違法な露店などもあったりで、少々怖かった印象もありますが、コンサートへの期待と高揚感で胸いっぱいになりながら、アリーナへ向かった記憶があります。
横浜アリーナは、横浜市政100周年の記念事業として、1989(平成元)年4月1日にオープンした大規模イベント施設です。
松任谷由実さんによるこけら落とし公演を皮切りに、日本内外のトップアーティストの公演が行われてきた他、スポーツや格闘技の世界的試合や、企業式典なども開催されています。
2019(平成31)年4月には開業30周年を迎え、記念事業として開業時と同じ松任谷由実さんのコンサートや、18年ぶりとなる大相撲巡業の横浜アリーナ場所も行われました。
また、横浜アリーナは横浜市の『「成人の日」を祝うつどい』(成人式)の会場にもなっています。市内の新成人が一堂に会することから、その規模は成人式としては日本最大です。
毎年アリーナを会場に18区を二つに分けて午前・午後の二部制で行われていましたが、今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、パシフィコ横浜ノースとの2会場で各会場4部制での開催となりました。なお、今年の新成人は約3万7000人で、成人式に参加したのは1万5307人だったそうです。
横浜アリーナは、来年2022(令和4)年に施設の耐震化を含む大規模修繕工事のため、成人式後の1月11日から7月末までの長期休業が予定されています。
(3)新横浜駅周辺(新横浜・篠原町)
横浜アリーナから新横浜駅までは歩いて5分程です。新横浜駅は、1964(昭和39)年の東海道新幹線開業に伴い、JR横浜線との交点に設けられました。東海道新幹線の開通に加えて、環状2号線や第三京浜道路が整備されたのもこの頃で、交通の発達によって新横浜周辺には会社や工場が進出するようになりました。
1975(昭和50)年には、篠原町、大豆戸町、新羽町、岸根町、鳥山町を分離・併合する形で、駅周辺が新横浜1~3丁目となり、町名としての「新横浜」が誕生しました。
1985(昭和60)年に横浜市営地下鉄ブルーラインが開業すると、東海道新幹線のひかり号の停車数が大幅に増加し、2008(平成20)年にはこだま、ひかり、のぞみと東海道新幹線の全種別が停車するようになります。
交通網の発達によって、鶴見川流域の水田地帯だった新横浜は、横浜の副都心として、多くの企業が本社を置くビジネス街へと変貌を遂げました。
しかしながら、新横浜駅の篠原口側(篠原町)には自然も残り、新幹線ホームに立つと、駅を挟んで全く別の景色が広がっている感があります。
そんな篠原口に最近、『「篠原口」が変わる』と大きく記された看板が、「新横浜駅南口市街地再開発準備組合」によって設置されました。詳細は是非『新横浜新聞』の記事をご覧ください。篠原口の再開発の行方を今後注視していきたいところです。
新横浜では、再来年度下期(2022年度=2022年10月~2023年3月末)に、相鉄・東急直通線の「東急新横浜線」(新横浜~日吉)の開業が予定されています。
昨年6月、環状2号線の新横浜駅至近で、この新路線のトンネル掘削工事に関わる二度の道路陥没があったのが記憶に新しいです。
原因はトンネル掘削における土砂の取り込み過ぎと結論が出され、9月に工事が再開しました。11月27日には新綱島から新横浜までのトンネル掘削が完了し、現在も開業に向けてレールの敷設や駅の設置工事が進められています。
新横浜はその時その時の交通網の発達とともに街が発展してきました。新路線の開通は新横浜をまた大きく変えることになりそうです。
(4)新横浜の街とラーメン博物館(新横浜)
さて、平日日中の新横浜の街は、緊急事態宣言中ということもあってか、人も少なく、静かな印象を受けました。
私自身頻繁に出入りをしている訳ではありませんので、緊急事態宣言下という先入観もありますが、企業がテレワークを実施していたり、飲食店やレジャー施設が休業、時短営業していたりすることは少なからず影響しているのではないかと想像します。
私にとって新横浜は先に述べたように、横浜アリーナが港北区との出会いであるとともに、他にも様々な思い入れのある街です。
私事で恐縮ですが、結婚式を挙げたのも新横浜ですし、新横浜町内会が主催するイベントで、1991(平成3)年から始まった「新横浜パフォーマンス」で、鶴見川舟運復活プロジェクト(同プロジェクトについては、『わがまち港北2』28頁ほか掲載ページをご覧ください)の出店を見学したことは、港北区に興味を持つきっかけの一つになりました。
そして新横浜ラーメン博物館にも、忘れがたい思い出があります。新横浜ラーメン博物館は緊急事態宣言を受け、1月9日以降は当面の間臨時休館となっていますが、久しぶりに足を延ばしてみることにしました。
「ラー博」の愛称で親しまれる新横浜ラーメン博物館は、新横浜駅から歩いて5分ほどの場所にあり、1994(平成6)年に開業しました。今では全国各地に見られるようになったフードテーマパークの嚆矢(こうし)です。
高度経済成長の最中で、日本全体が明るい雰囲気に満ちていた昭和33年の街並みをイメージして作り込まれた館内は、一歩足を踏み入れた途端タイムスリップして別世界へ来たようです。
一方でその外観は、館内に入った時のインパクトを狙い、明るくモダンなデザインで、その外観はルーブル美術館の外壁のテクスチャーをモチーフとしているとか。
しかし、その壁面に取り付けられた一見おしゃれな雰囲気の照明は、よく見るとラーメンのどんぶり型で、ラーメンへの強い思いを感じさせます。
ラー博では、全国各地の美味しいラーメンの食べ歩きが叶う他、ミュージアムショップでは全国のご当地ラーメンやオリジナルグッズを購入することも出来ます。
2019(令和元)年10月には青竹打ちによる麺づくり体験コーナーも出来ました。館内には駄菓子屋や喫茶店などもあり、大人から子どもまで楽しめるさまざまな催しも行われています。
「ラー博」の催しというと、実は私は2006(平成18)年から2009(平成21)年にかけて開催された「昭和歌謡のど自慢」の第3回大会に、初代コロムビア・ローズさんの歌う「東京のバスガール」で出場したことがあります。
優勝賞品の「憧れのハワイ航路」(ハワイ旅行)には残念ながら手が届きませんでしたが、ラーメンの町の町長さんに「あんたのバスなら乗ってみたいと思ったよ」とのお言葉を頂き、とても嬉しかったことが今も思い出されます。
(5)KOSE新横浜スケートセンター・新横浜駅前公園(新横浜)
新横浜はビジネス街の印象が強いですが、ラーメン博物館の他、KOSE新横浜スケートセンターや新横浜駅前公園など、休日にも楽しめる場所がまだまだあります。
スケートセンターは、フィギュアスケートの日本代表選手も滑走するスケートリンクですが、一般滑走も出来ます(現在は事前予約制)。また、氷上の格闘技と呼ばれるアイスホッケーのクラブチーム、横浜GRITS(グリッツ)のホームアリーナでもあります。新横浜駅前公園は、これから川沿いの桜の開花が楽しみです。
3月に入り、春らしい暖かな日も増えてきましたが、新型コロナウイルスはまだ予断を許さない状況で、緊急事態宣言も再延長となりました。
休日のお出掛けが心置きなく楽しめるようになるにはまだ時間がかかりそうです。その日が来たら、筆者も思い出深いラーメンの町にもう一度足を運んで、美味しいラーメンを心置きなく啜りたいです。
※ 次回(第4回、2021年4月)は「菊名地区」(後編)を掲載予定です。
<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員(現在に至る)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。
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・地域の歴史楽しむ「わがまち港北」、著者が区内小・中学校に最新刊を寄贈(2020年12月2日)
・“港北を好きになって”と著者の平井さん、最新「わがまち港北」を図書館に寄贈(2020年12月29日)
【参考リンク】
・書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ~事務局:地域インターネット新聞社)