地域の歴史を知り、学び、そして楽しむには――横浜市の北部に位置し、市内で最多の人口を持つ「港北区」の過去、そして今を知り、学び、そしてそれについて語れる機会は、そう多くはありません。
港北区の歴史、そして文化、そこに生きる人が歩む足跡を記録し、分かちあうことで、新たな未来を描こうという新連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」を、きょう(2021年)1月13日(水)からスタート。
港北区内を12の地区に分けて、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きといった「まち歩きスポット」を紹介するというコンセプトで、著書『わがまち港北2』(2014年5月発行)、『わがまち港北3』(2020年11月発行)の著者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)の取材・執筆によるエッセイを掲載します。
※「新横浜新聞~しんよこ新聞」と「横浜日吉新聞」の共通記事です。
こうほく歴史まち歩き「日吉の昔と今を歩く」(前編)【第1回】
今月(2021年1月)から、港北区内の歴史・名所・名物などを紹介する連載を執筆させていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
連載では、コロナ対策をしっかり行いつつ、区内の12地区を実際に歩いて、それぞれの地域の歴史と今をたどるものにしたいと思っています。
さて、最初に紹介するのは日吉地区です。地区の成り立ちや地勢、歴史については、「シリーズわがまち港北」の第216回「日吉地区―地域の成り立ち、その12」で詳しく紹介していますので、是非そちらも合わせてご覧ください(書籍『わがまち港北3』142~145ページ、公益財団法人大倉精神文化研究所のサイトに掲載しています)。
日吉地区は日吉、下田町、日吉本町、箕輪町の4つの地域で成り立っていますので、日吉駅をスタートして順番に歩きながら気になる場所と、それにまつわる話をご紹介していきましょう。
(1)日吉駅前花壇 花ポケット(日吉・日吉本町)
名実ともにまちの中心である日吉駅。東急日吉駅は、今年で1926(大正15)年の開業から95周年を迎えます。
日吉駅の東口を出ると、綱島街道を挟んで慶應義塾大学日吉キャンパスが目に飛び込んできます。
東急の開業と昭和9(1934)年の日吉キャンパス開校は、農村地帯だった日吉に人を集め、開発を進めるきっかけとなり、地域を大きく変貌させました。
現在、東急日吉駅には東横線と目黒線の2路線が乗り入れ、2008(平成20)年3月に開業した横浜市営地下鉄グリーンラインとも接続しています。
2022年度下期(2022年10月1日~2023年3月31日まで)には、相鉄・東急直通線の「東急新横浜線」(新横浜~日吉)の開業が予定されており、日吉に乗り入れる路線は4路線となります。
交通の要衝としての日吉の重要性はさらに高まります。利便性が向上して、駅の利用者や日吉に住む人が増えれば、地域はまた大きく変わっていくことでしょう。
さて、駅の東口から慶應日吉キャンパス入口のイチョウ並木を眺めると、その手前で視界に入るのが日吉駅前花壇 花ポケットに並ぶ色とりどりの花々です。
2017(平成29)年までここには花壇と共にベンチが並び、タバコを吸う人の姿や周囲に落ちるゴミも目立ちましたが、今はベンチが撤去されて一つの大きな花壇となり、かわいらしい草花が冬の寒空の下、駅前を行き交う人の目を楽しませてくれます。
港北区で恒例のイベントとなっている港北オープンガーデンにも毎年エントリー(※2020年は新型コロナウイルスの影響により開催中止)している日吉駅前の花壇は、地域のボランティアの方々によって維持・管理されており、2016(平成28)年にはその活動に対して国土交通大臣賞が贈られています。
筆者が歩いた日の花壇はちょうどクリスマス仕様で、ツリーのような外見のゴールドクレストとシクラメンの鮮やかな赤い色が印象的でした。
日吉では駅前の花壇だけでなく、街全体で緑を育てる活動が進められています。
日吉は昨年(2020年)行われるはずだった東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で、英国チームの事前キャンプ地の一つとなっていることから、街をイギリス風に彩り、イギリスの文化やスポーツのことを学んだり体験できるイベント「日吉ブリティッシュマーケット(British Market)」の開催が予定されていましたが、コロナ禍でオリンピック・パラリンピックは延期となり、イベントも中止を余儀なくされました。
しかしその後も、新たなまちづくり計画「日吉グリーンアクション(HIYOSHI GREEN ACTION)あつまれ日吉の森プロジェクト~日吉西地区緑化計画」構想が動き始めています。
慶應の日吉キャンパスから松の川緑道までを緑でつなぐ「グリーンベルト作戦」や、緑の広がりを生み出すことを通して、人とのつながりも広げていく活動が進められていく計画となっており、緑を縁に地域と人とをつなぐまちづくりに、これからも注目していきたいところです。
(2)慶應義塾大学矢上キャンパス(日吉)
日吉駅前から綱島街道を渡り、慶應日吉キャンパスから北東へ10分ほど歩くと、慶應義塾大学理工学部の矢上キャンパスがあります。
この慶應理工学部の卒業生に、日本のインターネットの父と称される村井純さんがいます。村井さんは昨年10月に内閣官房参与に任命され、菅義偉(すがよしひで)内閣が推進するデジタル政策分野での情報提供や助言を行っています。
村井さんが母校慶應と東京大学、東京工業大学を結ぶ大学間ネットワーク接続として1984(昭和59)年に設立した「JUNET」は日本のインターネットの起源とされています。
今や私たちの生活になくてはならないものとなっているインターネットですが、外出が制限されるコロナ禍でより一層不可欠なものとなり、その重要性と可能性はますます高まっています。
村井さんの技術から発展した日本のインターネット、村井さんが学んだ日吉の地はそのルーツといっても過言ではないかも知れません。
(3)日吉神社・矢上天神社(日吉)
慶應矢上キャンパスのすぐ西隣には日吉神社があります。
境内に掲げられた縁起によると、ここは元々矢上村の総鎮守で「神明社」と称していましたが、1939(昭和14)年に矢上村が横浜市域に編入されたことから日吉神社と社号を改めました。
本殿の左側には矢上天神社があります。
こちらは2002(平成14)年の菅公ご神忌1100年(菅原道真の没後1100年)に際して、道真公を偲ぶために太宰府天満宮から勧請した新しい天神様です。
その横には天神様に縁の深い牛の像(神牛)も祀られています。
今年はちょうど丑年(うしどし)ですので、天神様と神牛様に学業成就を願うのも良さそうです。
※ 次回(第2回、2021年2月)は、日吉(後編)を掲載予定です
<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員(現在に至る)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。
【関連記事】
・【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き~第2回:日吉の昔と今を歩く(後編)(2021年2月10日)※リンク追記
・地域の歴史楽しむ「わがまち港北」、著者が区内小・中学校に最新刊を寄贈(2020年12月2日)
・“港北を好きになって”と著者の平井さん、最新「わがまち港北」を図書館に寄贈(2020年12月29日)
【参考リンク】
・書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ~事務局:地域インターネット新聞社)