新横浜・菊名・大倉山・新羽など港北区南部の地域情報サイト
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地域の歴史を知り、学び、そして楽しむ――港北区の歴史、そして文化、そこに生きる人が歩む足跡を記録し、分かちあうことで、新たな未来を描こうという連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」第5回は「綱島地区」編です。東と西エリアの2回に分けて「まち歩きスポット」をご紹介します。

港北区内における12地区の位置と、今回歩いた綱島地区の場所

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセー『わがまち港北2』(2014年5月)と『わがまち港北3』(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当。

今回は綱島地区のなかでも、再開発の動きが加速している綱島駅の「東口エリア」を歩きました

※特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる撮影で、その他は横浜日吉新聞によるものです。

※本連載は「新横浜新聞~しんよこ新聞」と「横浜日吉新聞」の共通記事ですが、一部内容が異なります。

「綱島」の地名は湿地の島が由来?

綱島の街は鶴見川の至近に位置する(2020年3月、横浜日吉新聞)

この連載も5回目となりました。今回は綱島地区です。私の中での綱島のイメージは、歴史的には桃と温泉、現在だと駅前や商店街の人の賑わいと、綱島諏訪神社の例大祭などのお祭りでしょうか。

私は以前、樽町に住んでいたので、当時は綱島にもよく買い物へ行っていました。最近はゆっくり綱島を歩く機会がありませんでしたので、今回の散策も楽しみです。

綱島は区内随一の商店街と活気あふれる祭りが自慢。諏訪神社例大祭で商店街を埋め尽くす神輿と参加者(2018年8月、横浜日吉新聞)

綱島地区ですが、住所では綱島西、綱島東、綱島台、綱島上町が該当します。

「綱島」の地名の由来は、(1)鶴見川と早渕川の合流点に位置し、洪水になりやすい地形から、湿地に浮かぶ島という意味の「津の島」が「綱島」に転じたとする説が有力ですが、ほかにも、(2)この地を支配していた綱島三郎信照を由来とする説や、(3)馬の生産地だったことから馬に関する地名になったという説などがあります。

綱島温泉駅の名残は「新綱島駅」にも

綱島駅の西口は2020年3月の「エトモ綱島」のオープンとともに新しくなった(横浜日吉新聞)

今回も駅から出発しましょう。東急東横線の綱島駅は1926(大正15)年に開業しました。

開業当初の駅名は「綱島温泉駅」でしたが、1944(昭和19)年に綱島駅と改称され、現在に至ります。昨年(2020年)、仮称新綱島駅として工事が進められていた新駅の名称が港北区民を対象に公募された際、新綱島に次ぐ応募数の2位は綱島温泉でした。

2020年8月から9月に港北区民を対象に行われた駅名公募を経て「新綱島」に決定したが、「綱島温泉」は選択肢になかったにも関わらず自由記入だけで2番目の多さだった(東急電鉄のチラシより)

地下深くに設けられる東急新横浜線「新綱島駅」の地上部では29階建ての再開発ビルが建設され、252戸のマンションほか、「港北区区民文化センター」や商業店舗なども入る(「ドレッセタワー新綱島」の物件公式サイトより)

これは旧駅名や温泉街だった歴史、そして「綱島ラジウム温泉東京園」の跡地が新駅建設の工事現場と重なることも影響しているでしょう。

また、先月の菊名地区では菊名駅の改良工事に触れましたが、綱島駅も昨年3月にリニューアルして、駅構内には商業施設「エトモ綱島」がオープンしました。

綱島駅構内の商業施設「エトモ綱島」は新型コロナ禍のさなかだった2020年3月にオープンした(2020年3月16日)

エトモ綱島の主力テナントとして駅構内の高架下には「東急ストア綱島駅前店」がオープンした(2020年3月13日、横浜日吉新聞)

半世紀以上にわたって高架下の駅ビル商店街内にあった「東急ストア綱島駅前店」は2016年1月に閉店した(2016年1月8日)

1963(昭和38)年に綱島駅が高架した際に設けられた「綱島駅ビル商店街」は2016年1月に閉鎖・解体ののちに高架橋の耐震工事が行われ、現在は高架下に「エトモ綱島」が設けられている(2015年11月、横浜日吉新聞)

エトモ綱島には2016(平成28)年1月に閉店した東急ストアも復活しました。新装なった綱島駅を見ていると、筆者は「東急ストア綱島駅前店」が閉店する瞬間に立ち会った日が思い出され、感慨を覚えます。

鉄道会社が作った温泉浴場と「ボイラーマン」

綱島駅東口を出たら、相鉄・東急直通線(東急新横浜線)の工事現場へ行ってみましょう。川崎鶴見臨港バスの7番乗り場前を通り過ぎ、綱島街道に出ると、工事現場が眼前に広がります。しかし以前はここに黄色い建物の浴場施設「綱島ラジウム温泉東京園」がありました。

綱島駅の東口は東急バスを中心に臨港バスや市営バスも乗り入れる一大ターミナルとなっており、新綱島駅の開業後は半分程度が同駅のバスターミナルへ移される予定(横浜日吉新聞)

工事が進む東京園跡(2021年5月31日)

「新水パーキング」跡側、クレーンが立ち並ぶ(2021年5月31日)

現在、地下約40メートルの位置で新綱島駅のホーム工事が行われている(2021年4月24日、横浜日吉新聞)

ここで綱島の歴史を少し紐解くと、綱島には1927(昭和2)年、開業間もない東横線の利用促進を目的として当時の東横電鉄(現東急電鉄)が綱島温泉浴場をオープンしました。

綱島温泉浴場は、戦中戦後には臨時の学校となったり、米兵の慰安所となったりと紆余曲折ありました。そして、1947(昭和22)年にこの温泉浴場を譲り受けてオープンしたのが東京園です。

在りし日の綱島温泉「東京園」(2015年5月11日)

東京園といえば、かつて民謡・演歌歌手の三橋美智也がボイラーマンのアルバイトをしていたことも有名です。ちなみに三橋美智也は、日本一多くのシングルを売り上げた歌手で、そのレコード総売上枚数は1億600枚に及びます(現在CD売上枚数1位の「B’z」が8148万枚)。

かつて東京園には三橋美智也の写真やサインとともに、「19歳の時に北海道から上京し、綱島の当東京園でボイラーマンをしながら歌の修行をしていた」などの説明文も飾られていた(2012年8月、読者提供)

多くの人に愛されていた東京園ですが、新駅の工事に土地が使用されることになり、2015(平成27)年5月19日から無期限の休園となりました。

「東京園」休園の通知(2015年5月15日)

筆者もこの日、黒湯を楽しんで閉館時間とともに館内を出ましたが、明かりが消えるまで帰ることが出来ませんでした。筆者の他にも休園を惜しみ、建物の前から立ち去れずにいる方が多くいました

営業最終日の東京園、閉館直後の様子(2015年5月19日)

東京園は湯舟にあふれる黒い湯(温泉)が印象的だった。大曽根1丁目の銭湯「太平館」も同じような湯が湧いている(2012年8月、読者提供)

東京園はラジウム鉱泉の黒湯もさることながら、昭和の趣の残る館内の雰囲気やダンスを楽しむ妙齢の紳士淑女の方々の姿など、一歩中に入ると別世界にいるような感覚がありました。

黒湯に入れる近隣の施設は今もありますが、あの雰囲気を味わうことがもう出来なくなってしまったのは残念でなりません。

水害対策から生まれた綱島のブランド桃

池谷(いけのや)家と日月桃(じつげつとう)の碑(※通常は非公開、2020年3月、横浜日吉新聞)

相鉄・東急直通線、新綱島駅、再開発ビルの工事現場を眺めながら歩みを進めると、旧南綱島村の名主(なぬし=村長的な立場)家である池谷(いけのや)家があります。また、その横には綱島の桃栽培の歴史を今に伝える桃園があります。

鶴見川の水害の被害に悩まされていた綱島では、水害に強い作物として、明治30年代に池谷道太郎氏が桃の栽培を始めました。

綱島の桃は、1938(昭和13)年には日本一の収穫量となり、「西の岡山、東の神奈川」とも称された程で、品評会でも数々の賞を取り、銀座千疋屋や新宿高野でも扱われている綱島の特産品となりました。

1907(明治40)年には、道太郎氏が水害にも病気にも強く、味もよい新品種として「日月桃(じつげつとう)」を発見して、苗木を配り、その栽培を地域に広げました。7月から8月にかけて収穫されることの多い桃ですが、日月桃は極早生の品種で、6月中旬ごろから収穫され、初物好きの江戸っ子に好まれたといいます。

日月桃、実はやや小ぶりで可愛らしい、横の説明書は購入時の同梱されていたもの(2014年6月9日)

池谷家の桃園は1909(明治42)年に設立された「綱島果樹園芸組合」時代からの伝統を継いでいる。丸字の「イ」は、山印(やまじるし)といい、ここ池谷家の印として使用されてきた(2019年7月、横浜日吉新聞)

池谷家の桃園で栽培された桃は直売されるが、収穫量が多くないうえ、近年は特に人気が高まっているため入手しづらい(2018年、横浜日吉新聞)

鶴見川の水害の被害や都市化のため、昭和30年代には衰退していった桃栽培ですが、池谷桃園では今も栽培が続けられています。

また、一時絶滅したと思われた日月桃は、1998(平成10)年に道太郎氏の孫の池谷光朗氏が、当時の農林水産省果樹試験場に残されていた2本の日月桃の苗木の枝をもらい、綱島に日月桃を復活させました。

桃の一つ一つが袋掛けされていた(2021年5月31日)

桃園の横を通ると、桃の実の一つ一つに袋がかけられていました。収穫された桃は毎年販売されています。筆者は近年なかなか買いに行けずにいます。今年は綱島の桃を入手したいです。

急な階段を上がれば今も残る桃の展望台

また、桃に関する話をもう一つ、綱島諏訪神社と綱島街道を挟んで向かい側、クリエイトSD港北綱島東店の横に急な階段があります。

綱島街道沿いにある「綱島神明社・桃雲台」へと続く階段。非常に急で登るのが少々怖い(2015年3月11日)

「綱島神明社・桃雲台」は東急東横線と綱島街道に挟まれた空間に残されており、綱島駅(写真奥)からも至近だが気付く人は少ない(2020年3月、横浜日吉新聞)

階段を上った先には「神明社」の石碑が建つ(2015年3月11日)

階段を上がった先は、南北綱島村の鎮守神明社で、今もそれを示す石碑と鳥居があります。

桃雲台の石碑も建つ。桃雲台と石碑については、シリーズ『わがまち港北』の第160回「地上の桃源郷」もご覧下さい(2015年3月11日)

この高台は「桃雲台」と呼ばれ、桃の花が満開の頃に、ここから辺りを見下ろすと、辺り一帯が薄いピンクの雲に覆われているように見えたそうです。桃は実だけでなく、花もまた観光資源としても活用されました。

神輿が埋め尽くす綱島諏訪神社の例大祭

桃園の脇を通り過ぎ、今度は「綱島諏訪神社」を目指します。綱島東小学校や港北区地域子育て支援拠点「どろっぷサテライト」(綱島東3)に向かう道と重なります。案内に従って歩いていきましょう。

綱島諏訪神社(写真奥の緑の丘)は新綱島駅の出入口予定地からも近い(2021年4月、横浜日吉新聞)

しばらく歩くと、「諏訪宮東門」を示す石碑がありましたので、石碑に沿って角を左に曲がります。

「諏訪宮東門」と刻まれた石碑。角を曲がって先を進むと綱島諏訪神社の東門がある(2021年5月31日)

諏訪神社の東門(2021年5月31日)

諏訪神社の東門の脇には力石が置かれています。力石は祭礼などの時に若者たちが力比べをするために持ち上げた石です。石には「池谷石」「飯田石」(北綱島村=現綱島西=の飯田家)と南北綱島村の名主家の名が刻まれており、両名主が奉納したことを示しています。

池谷石、飯田石が並ぶ(2021年5月31日)

さて、東門から階段を上がって社殿を目指します。平日日中ということもあってか、境内は静かです。掲げられた神社略記によれば、神社は「綱島十八騎」と称される武田の家臣が1605(慶長5)年ごろに創建したものとありますが、由来は諸説あります。

諏訪神社の社殿(2021年5月31日)

境内に掲げられている神社の略記(2021年5月31日)

新型コロナウイルス感染拡大のため、鈴尾の使用は中止に(2021年5月31日)

鈴尾の使用は中止されていましたが、連載の執筆が順調に進むよう祈願しました。

また、冒頭で綱島のイメージの1つとしてお祭りを挙げましたが、毎年8月最後の土日に行われる綱島諏訪神社の例大祭の宮入では、この境内が神輿と人で溢れます

諏訪神社例大祭の宮入り。境内は人で溢れかえる(2019年8月25日)

境内に設けられたステージではカラオケ大会などの余興も行われる(2015年8月29日)

諏訪神社周辺は夜店で賑わう(2015年8月29日)

例大祭の2日間は綱島中が祭り一色となる(2018年8月、横浜日吉新聞)

昨年(2020年)は他の多くの催し同様、新型コロナ禍のために中止となりましたが、夜店の賑わいや迫力満点の宮入りの復活が待ち遠しいです。

米アップルも進出した「綱島SST」とは?

そろそろ綱島諏訪神社を出発して、綱島街道の方から、Tsunashimaサスティナブル・スマートタウン(綱島SST)を目指します。

2018年3月の「綱島SST」のまちびらき時には、松下通信工業の綱島工場で研修や実習を受けていたので思い出深いと話すパナソニックの津賀一宏社長(当時)も訪れ、オープニングセレモニーが行われた(横浜日吉新聞)

綱島SSTのまちびらきは2018(平成30)年3月に行われましたので、最新スポットといっていいでしょう。ここまで地域の歴史に関わりの深い場所が少し続きましたが、今度は時代の先端を走る場所です。

横文字が苦手な筆者としては「サスティナブル・スマートタウン」とは何ぞやと思っていましたが、公開しているコンセプトムービーからは、さまざまな企業や組織、そして地域、住民が協働して、社会や時代に合わせて、暮らしやすく発展し続けていく街という理解をしました。

パナソニックは綱島SSTを“共創イノベーションタウン”と名付けている(2018年3月、横浜日吉新聞)

この場所には旧松下通信工業の綱島工場がありましたが、2011(平成23)年に閉鎖、工場の解体後は更地のまま柵で囲われた状態が長い間続きました。

しかし、2015(平成27)年3月に次世帯都市型開発計画が発表され、さらにApple(アップル)の日本初となる研究開発拠点、現在のApple横浜テクノロジーセンター(YTC)の建設が報じられると、大きな話題となりました。

 

現在のApple YTC(2021年5月31日)

2017年3月から稼働したApple YTCは、公道上からも受付や“リンゴのマーク”が見える一方、研究所内でどれだけの数の人が働いているか、また何の研究が行われているかなどの詳細は世界的な秘密事項となっており、今もほとんど知られていない(2017年8月、横浜日吉新聞)

建設中のAppleYTC。湾曲した壁面のデザインに何となく近未来の雰囲気を感じ、ワクワクしながら見ていた(2016年6月9日)

さて、そのApple横浜テクノロジーセンターからENEOS(エネオス)横浜綱島水素ステーションを挟んでその先に建つのが、「アピタテラス横浜綱島」です。

Apple YTCとアピタテラスの間には「ENEOS横浜綱島水素ステーション」がある(2021年5月31日)

アピタテラス横浜綱島。店内入口への近道の案内が設置されている(2021年5月31日)

食料品店や日用品店をはじめ、雑貨店、書店、カフェにフードコート、その他暮らしに関わるさまざまなテナントが入る地域の生活拠点で、筆者が訪れたのは平日のお昼時だったこともあり、幅広い年代の方で賑わっていました。

アピタテラス横浜綱島の北綱島交差点側入口(2021年5月31日

また、その中でも子ども連れのお母さんたちの姿の多さに目に止まりました。筆者も同じ境遇ということがあるかも知れません。しかし店内が広く、ベビーカー等での移動もしやすく、一カ所でさまざまな用事を済ますことが出来るショッピングモールの存在はとても有り難いです。

今年2月にはベビーと子供用品の専門店「西松屋」がオープンしました。筆者は出産前に職場周辺でベビー用品を購入したいと思い、店を探したところ、地域の子育て世代人口の多さに比して、こうした専門店がないことを知り、意外な印象を受けました。

アピタテラス横浜綱島の2階で2月にオープンした子ども用品チェーンの「西松屋」(横浜日吉新聞)

今はネット通販でも事は足りますが、子ども向けの商品は実店舗で購入したい方もいるでしょう。西松屋の開店を喜んだ方は多いのではないでしょうか。ちなみに筆者も今回初めてアピタテラスの西松屋に立ち寄りましたが、子供服のデザインやサイズの充実ぶりが羨ましかったです。

このままアピタテラスでの買い物を楽しみたいところですが、まだまだ散策の途中です。綱島SSTをそろそろ出発しましょう。次は綱島公園へと足を延ばします。少し距離がありますので、続きはまた後編にしましょう。

まん延防止等重点措置」が今月(2021年)6月20日まで延長され、生活に必要な場合を除く外出自粛が要請されています。

しかし、健康のために屋外で運動をしたり、近隣を散歩することは必要な外出としています。今の時期は雨が多く、ただでさえ体を動かす機会が減りがちです。梅雨の晴れ間には気分転換を兼ねて、自宅周辺を歩いてみるのはいかがでしょう。

(次回「綱島地区(後編)」へ続く)

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

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【参考リンク】

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)