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大倉山生まれ・育ちの秋本さんは、15年以上の期間にわたり「太尾宮前町会」の会長として活躍している(5月20日、大倉山4丁目の太尾防犯拠点センター)

大倉山生まれ・育ちの秋本さんは、15年以上の期間にわたり「太尾宮前町会」の会長として活躍している(5月20日、大倉山4丁目の太尾防犯拠点センター)

大倉山地区の新リーダーが、「教育現場」「海外赴任」のキャリアを活かし地域で躍動します。

大倉山地区連合町会では、今年(2021年)4月から新しい連合町内会長として、大倉山2丁目と5丁目、太尾神社や歓成院の周辺一帯をエリアとする太尾宮前町会会長の秋本健一さんが就任、新体制での地域まちづくりを行っています。

大倉山地区連合町会は、東急東横線「大倉山駅」が最寄り駅。大倉山1丁目から7丁目まで、18の自治会で構成されている

大倉山地区連合町会は、東急東横線「大倉山駅」が最寄り駅。大倉山1丁目から7丁目まで、18の自治会で構成されている

「大倉山の街の魅力は、自然や緑が多く残っていること、港北区や横浜市の他の街と比べると、大倉山の丘一帯を除いて坂が少なめなこと、そして公共施設に恵まれていることでしょうか」と語る秋本さん。

地元生まれ・育ちだという秋本さんが、ふるさと・大倉山で歩み、日々感じてきた地域まちづくりへの「想い」とは。

今も地域まちづくり活動の拠点としている「学校」でキャリアを磨いたこと、海外赴任というチャレンジを行ったこと、そして15年間、同町内会の会長として活動してきたことなどについても、詳しく話を聞きました。

フィールドは地元「横浜」、青春を謳歌(おうか)した想い出

秋本さんの幼少時には、太尾新道付近に川が流れ、シジミが獲れたという

秋本さんの幼少時には、太尾新道付近に川が流れ、シジミが獲れたという

秋本さんは大倉山生まれ。「その頃の大倉山は、田んぼや畑、野原が広がっていました」と、現在の太尾新道付近にはが流れており、どろんこになりながらドジョウやシジミを取ることもあったと、懐かしそうに当時をを思い起こします。

「戦後の、防空壕が残る丘で遊ぶこともしばしばありました」と、大倉山を“遊び場”としていたという秋本さんは、かつて現在の綱島街道沿い(現在の大倉山1丁目付近)に大綱小学校があった時代に通学。

地元・大綱中学校(写真)から横浜翠嵐高校、横浜市立大学に進学。「横浜」エリアを中心に青春を謳歌した

地元・大綱中学校(写真)から横浜翠嵐高校、横浜市立大学に進学。「横浜」エリアを中心に青春を謳歌した

その後、大綱中学校(大倉山3)、横浜翠嵐高校(神奈川区三ツ沢南町)に進学。「大綱中学校ではバレーボール部に所属、翠嵐では化学部に入部しました。高校時代は、日本史で『続日本史』という本の原文を読んだり、化学部では繊維を作る実験をしたりしたことも心に残っています」と、懐かしい青春時代について語る秋本さん。

大学は横浜市立大学(金沢区瀬戸)の数学科に進学し、理系の道に進んだといいますが、「やはり自然あふれる金沢区では、柴漁港で獲れたシャコをバケツ一杯に食べたことや、三浦半島の鷹取山(横須賀市と逗子市の間に位置する山)にハイキングに行ったことも懐かしいですね」と、地元・横浜や神奈川県をフィールドに過ごした大学生活を振り返ります。

「地域」との関係深めた教員時代、地域連携で表彰も

つながりがあり赴いた田園調布学園中等部(東京都世田谷区)での教育実習の経験が「教員の道に進むきっかけとなりました」と秋本さん

つながりがあり赴いた田園調布学園中等部(東京都世田谷区)での教育実習の経験が「教員の道に進むきっかけとなりました」と秋本さん

「理系」を究めた秋本さんは、東急東横線沿線の女子中学校での教育実習を行ったことがきっかけとなり、「教職」の道へと進みます。

横浜市の教員として、万騎が原中学校(旭区万騎が原)、地元・港北区の篠原中学校(篠原町)、栗田谷中学校(神奈川区栗田谷)、中川西中学校(都筑区中川)、そして副校長として田奈中学校(緑区長津田)に着任。

「高度成長期からバブル期へ至る前の当時は、時代背景として校内が“荒れていた”のですが、そんな子どもたちも大好きでした」と、レッテルを貼られてしまう子どもたちの“心”を見つめていたという秋本さん。

新設校だった中川西中学校で「花いっぱい運動」を展開し表彰されたことも、今の大倉山での「花と緑のまちづくり」につながっているという

新設校だった中川西中学校で「花いっぱい運動」を展開し表彰されたことも、今の大倉山での「花と緑のまちづくり」につながっているという

中川西中では、新設校だったこともあり、地域ぐるみでの「花いっぱい運動」を展開。今にもつながる「花と緑のまちづくり」の挑戦により、神奈川新聞社の表彰を受けることになったと、その4年間の活動を振り返ります。

学校は閉鎖的であってはいけない、地域に学校を開いて、その関係を大切にしなければならない、という意識を、より強く持つことになりました」と、市教育委員会の指導主事として本部に異動した時にも、地域の対応を行い、そのつながりの大切さを感じたとのこと。

栗田谷中時代には、「記念誌の制作でバザーを開催、その準備で体育館に泊まったこともありました。今となっては懐かしい想い出です」と、PTAの活動においても、保護者や教員が地域で連携することでの教育を実践してきたと、秋本さんはその想いを熱く語ります。

地元・新田中での「校長」経験、南米ペルーでの勤務も「糧」に

地元・新田中学校(新吉田東5)で校長として着任した秋本さんは、3年間その職に勤務しますが、さらなる人生の挑戦として、神奈川県の海外教員の募集にエントリーし、南米ペルーの首都リマにある「リマ日本人学校」に“海と国境を超えて”校長として赴任。

端正に貼り紙が貼られた掲示板。「初めて大倉山に住まう皆さんにも、等しく接していく土壌がある」と秋本さんは説明。自身の海外経験も日々の活動に活きているという

端正に貼り紙が貼られた掲示板。「初めて大倉山に住まう皆さんにも、等しく接していく土壌がある」と秋本さんは説明。自身の海外経験も日々の活動に活きているという

約50人の児童と、協力先である地元に拠点を持つトヨタ自動車や住友商事、パナソニックといった大手企業との連携、協力を得るための学校運営を行ったと語ります。

着任の数年前に、大使館が襲撃され、爆弾テロも頻発するなど、「治安は決して良くない街として知られていますが、ずっと居たいと感じるほど、とてもいい国でした」と秋本さん。

家族の支えもあり、現地での仕事を行うことができたといい、「雨が降らない砂漠のまちでしたが、アンデス川から流れてくる水からできるオアシスや、アンデス山脈にある古代インカ帝国の遺跡・マチュ・ピチュの美しさも印象深いものでした」と、自ら飛び込んだその国や街での“特別な経験”を振り返ります。

舞台は再び「大倉山」へ、“新住民”も巻き込みまちづくり

秋本さんが「学校運営協議会」会長、「地域防災拠点運営委員会」本部長を務める太尾小学校

秋本さんが「学校運営協議会」会長、「地域防災拠点運営委員会」本部長を務める太尾小学校

帰国後も、もえぎ野中学校(青葉区もえぎ野)で校長として着任して後、現役教師を引退した秋本さんの舞台は、生まれ育った大倉山の街へ。

太尾宮前町会で「体育指導員」(現在のスポーツ推進委員)として地域活動をスタートした後、2005(平成17)年から同町会の会長職に。

自治会・町内会に加入していない地域住民を巻き込み、「地域防災拠点」の訓練も行っているという

自治会・町内会に加入していない地域住民を巻き込み、「地域防災拠点」の訓練も行っているという

「学校と地域をつなぐ」ことを現役時代から志してきた秋本さんらしく、2008(平成20)年から太尾小学校(大倉山7)でもスタートした学校・地域コーディネータ―として、“学校と地域”をつなぐ存在として活躍。

保護者や地域住民などが学校運営に参画し、地域に開かれた学校づくりを進める「学校運営協議会」の立ち上げにもかかわり会長に就任するなど、これまで培(つちか)った“教育キャリア”を存分に活かし、学校を「核」とした新しい地域まちづくりにチャレンジしてきたといいます。

「第25回防災まちづくり大賞」の最上位賞となる総務大臣賞を初めて受賞した

「第25回防災まちづくり大賞」の最上位賞となる総務大臣賞を初めて受賞した

同小学校の「地域防災拠点運営委員会」本部長として、新しく地域に住まう若手ファミリー世帯を巻き込んだ「防災まちづくり」が高く評価され、今年2月には、総務省消防庁から、同委員会が「第25回防災まちづくり大賞」の最上位賞となる総務大臣賞を初受賞するなど、新しいチャレンジを「常に」続けてきました。

「きれい好きな人が多いまち」と秋本さんは大倉山の街についても語る

「きれい好きな人が多いまち」と秋本さんは大倉山の街についても語る

子どもは、地域の宝ですね」という秋本さんの心には、“荒れていた”中学校勤務時代の経験が色濃く残っているともいい、「子どもたちにとっては、家庭環境がとても大切です。例え“荒れている”子どもたちも、みんなが支えていけば、必ず“良い方向”にいくと感じてきました」と、子どもたちの姿は“社会の姿の反映”だと言い切ります。

「一人ひとりの顔が見える街」にしていきたいと意気込む

「一人ひとりの顔が見える街」にしていきたいと意気込む

2009(平成21)年から毎年開催してきた「太尾小学校ふるさと祭り」や、スーパーマーケット「ライフ大倉山店」駐車場(大倉山5)での盆踊り大会などの地域イベントも、新型コロナ禍で開催できない状況が続いていますが、「子どもたちや保護者はもちろん、地域の商店街の皆さんなど多くの方が参加し、“顔が見える”これらのイベントを、また再開できる日がくることを願っています」と秋本さん。

新たな転入者や子育て世代など、新しい住民をも巻き込みながらの、“人と人とのつながり”を大切にする秋本さんらしい、「新しい大倉山の未来」に向けての船出に期待したいところです。

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