新横浜・菊名・大倉山・新羽など港北区南部の地域情報サイト
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メダリストの「夢」かなえる大切さ、その感動を、ふるさとの街・港北区で分かち合います。

横浜ラポールでおこなわれた「感謝会・区民表彰授与式」に参加した古澤選手(中央)、菊名小の野間校長、菊名北町町内会の長井会長、鵜澤港北区長、同館の神山館長(後列左より)

横浜ラポールでおこなわれた「感謝会・区民表彰授与式」に参加した古澤選手(中央)、菊名小の野間校長、菊名北町町内会の長井会長、鵜澤港北区長、同館の神山館長(後列左より)

横浜市港北区役所(大豆戸町)は、先週(2021年)10月15日午後、鳥山町にある障害者スポーツ文化センター横浜ラポール(神山篤館長)内のラポールシアターで、「東京2020パラリンピック」車いすバスケットボール競技で銀メダリストとなった港北区出身の古澤拓也選手への「感謝会・区民表彰授与式」を開催しました。

この日は、「港北区民表彰」の授与をおこなった鵜澤(うざわ)聡明港北区長や同区区政推進課の田中郁雄課長、地元・菊名の街から熱き声援をおこなった菊名北町町内会の長井貞道(さだみち)会長のほか、古澤選手の母校・横浜市立菊名小学校(菊名5)の児童代表と野間義晴校長、市立大綱中学校(大倉山3)の生徒代表と生出(おいで)宏校長らが出席。

鵜澤港北区長から古澤選手に「港北区民表彰」の表彰状が贈呈された

鵜澤港北区長から古澤選手に「港北区民表彰」の表彰状が贈呈された

先月9月5日、東京・有明アリーナ(江東区)でおこなわれた男子決勝戦で、前回大会優勝のアメリカに60対64で敗れ、「銀メダル」となりましたが、これまでの最高成績の7位を大幅に超える初メダルという「快挙」、また試合中に躍動する古澤選手の姿に、SNSなどを通じた日本全国からの応援のボルテージが試合ごとに高まる現象も見られていました。

この日、自身が車いすバスケの道に進むきっかけとなった体験会の開催場所でもある横浜ラポールのシアターに古澤選手が登場すると、会場には大きな拍手が湧き起こります。

菊名小の児童は手作りの花束をプレゼント

菊名小の児童は手作りの花束をプレゼント

司会進行役を務めた港北区の田中課長から古澤選手のプロフィールや活躍ぶりが紹介された後、今回の表彰式が新型コロナウイルス感染症対策により「少人数」での開催となったことについても説明。

出席した参加者が紹介された後、まずは港北区民表彰の授与式がおこなわれ、鵜澤区長が古澤選手へ表彰状を手渡し、「古澤選手が港北区で生まれ育ったと聞き、改めて日本戦を全試合見直したが、非常に大きな感動を与えていただいた。港北区民や子どもたちは誇りに思えたのではないか」との祝辞を述べていました。

大綱中からは生徒会の3人が全校生徒を代表して出席。同窓会から贈られたという横断幕でパラリンピックを盛り上げたことを伝えていた

大綱中からは生徒会の3人が全校生徒を代表して出席。同窓会から贈られたという横断幕でパラリンピックを盛り上げたことを伝えていた

古澤選手が「想い出の通学路」として通っていたという菊名駅東口や、綱島街道にかかる歩道橋応援の横断幕を設置した菊名北町町内会の長井会長は、町内会役員の尽力により横断幕を掲げることができたと説明。同席した役員らと掲示していた横断幕を古澤選手にプレゼントし、その活躍を労(ねぎら)っていました。

母校・菊名小学校からは、パラリンピック前、6年生が中心となり企画した全国生徒による激励の寄せ書きを古澤選手にプレゼントしたエピソードを披露、児童3人が試合中の感想や「ぜひ来校してほしい」とのメッセージを伝え、手作りした花束をプレゼントすることでの“交流”の時間をあたためます。

参加者で記念撮影

参加者で記念撮影

同じく母校の大綱中学校では、パラリンピックへの出場が決定以降、同窓会から贈られたという横断幕で古澤選手の活躍を盛り上げたことを振り返り、生徒会長、副会長、書記の3人が、「古澤選手が私たちの先輩だということに素晴らしい気持ちでいっぱい。試合、最高でした」と、銀メダルの感想と感謝の想いを伝えていました。

小学校6年生で金メダルを決意、3年後も「夢の実現を目指す」

菊名北町町内会の長井会長は、町内会役員の尽力により横断幕を設置できたエピソードを披露。横断幕は古澤選手に贈呈された

菊名北町町内会の長井会長は、町内会役員の尽力により横断幕を設置できたエピソードを披露。横断幕は古澤選手に贈呈された

地域ぐるみの改めての激励と感謝を受け取った古澤選手は、「この港北区を代表して戦ってきて、皆さんに良い報告をできたこと、それが本当に光栄で、誇らしく思います。また3年後も、このような機会を作っていただけるように頑張っていきたい」と、2024年にフランス・パリで開催される予定の「パリ・パラリンピック」に向けての新たな目標に向かう姿勢を示します。

古澤さんが車いす生活になったのは12歳、小学校6年生のとき。「それまでは歩いて生活をしていました。野球が好きな野球少年だったのですが、脊髄(せきずい)空洞症という合併症の手術をすることで車いすユーザーになりました」と、車いすで日々生活することになったきっかけについて説明します。

「重い!」と、銀メダルの重さや感触を確かめるシーンも

「重い!」と、銀メダルの重さや感触を確かめるシーンも

「野球以外で面白いスポーツはないかと、ラポールでたくさんのパラ・スポーツの体験にチャレンジしました。車いすテニスや水泳、陸上など、いろいろなスポーツをやってみて、バスケットを選びました」と、今でも大好きだという野球以外に好きなスポーツ、車いすバスケットと出会うことができたと、今に至る当時のエピソードを振り返ります。

小学校時代の想い出については、「特に(小学校時代は)本当に、野球をするためだけに1日を過ごしていましたが、今回横断幕を掲げていただいた場所が僕にとって想い出の通学路。ちょうど家から出て、菊名駅前で『疲れたなぁ』と思って、また歩道橋の横断幕の場所を通って『また疲れた』と思って。小学校といえば『ここ』という想い出があります」と語り、周囲を和ませる古澤さん。

古澤選手が「様々なパラスポーツの体験」を経て車いすバスケットボールに出会ったエピソードも語り継がれそう

古澤選手が「様々なパラスポーツの体験」を経て車いすバスケットボールに出会ったエピソードも語り継がれそう

続く中学校時代については、「母の送迎や電車通学など、いろいろな経験をする中、今でも“友だち”といえる友人たちと出会えました。今回のパラリンピック終了後も、“お疲れ様会をしたい”と連絡をくれる友だちもいます」と、ふるさと・港北区で過ごした日々、そして今もつながる「人と人とのつながりの輪」の大切さについて、その想いを熱く語っていました。

車いす生活になり、車いすバスケットボールを始めた6年生時代の卒業文集で「金メダルを獲る」と宣言していたという古澤さんは、3年後にその「夢」をかなえるべく邁進していくとのこと。

地元・港北区から世界一を目指す古澤さんの、これからの熱きチャレンジに、さらなる地域内外からの期待感が寄せられていきそうです。

【関連記事】

<パラリンピック>車いすバスケ競技に地元選手、菊名駅や小学校から熱き声援(2021年8月25日)

【参考リンク】

東京2020パラリンピック 車いすバスケットボール 銀メダリスト 古澤拓也選手 感謝会 兼 区民表彰授与式 を開催しました(横浜市港北区の記者発表資料)

パラリンピック銀メダリスト古澤選手の感謝会で横断幕を授与(菊名北町町内会)

大綱デイズ~2021年度(横浜市立大綱中学校)※9月に横断幕についての記述も

学校日記~6年総合オリ・パラ(横浜市立菊名小学校)※同小学校ではオリンピック・パラリンピックについて学ぶ取り組みをおこなっている

車いすバスケットボール 古澤拓也 (ふるさわ たくや)(初出場)(神奈川県)