江戸期から昭和初期まで港北区域でさかんだった鶴見川での「舟運(しゅううん)」の姿を明らかにしつつあります。
港北区内を中心に活動する「鶴見川舟運復活プロジェクト」(大谷佐一代表)は今月(2024年)5月18日、鶴見川に2艘(そう)の手漕(こ)ぎ船を9年ぶりに浮かべ、新羽橋から約2キロの範囲を航行して当時の難所などを検証しました。
同プロジェクトは、鶴見川を交通路として荷物や人を運んだ舟運の歴史を語り継ぎたいとの思いから、新羽地区の区民らが中心となって2007(平成19)年6月に結成された市民団体。
これまでに2艘の手漕ぎ船を新造し、2008(平成20)年7月に新羽橋(新羽町)から下流の鶴見川河口干潟(鶴見区生麦)まで、7年後の2015(平成27)年7月には新羽橋から鶴見川漕艇場(そうていじょう、鶴見区元宮)までを往復する計2回の航行検証を行ってきました。
9年ぶりとなった今回の航行も新羽橋を起点とし、かつて「太尾河岸(かし=船の発着場)」が置かれたといわれる大倉山6丁目の「太尾見晴らしの丘公園」付近まで川をいったん下った後、折り返してどこまで上流にさかのぼることができるかを検証したものです。
鶴見川の舟運は、新羽付近まで潮の満ち干きがあることを利用し、東京湾から鶴見区域や綱島などを経由し、太尾河岸までの区間で行われていたと記録が残っています。
終点となる太尾河岸より上流の小机方面へは、筏(いかだ)で棹(さお)を用いたり、舟底の平たいごく小さな舟を使ったりしてさかのぼっていたと言われています。
一定の大きさを持つ手漕ぎ船で、実際に太尾河岸より上流へ行くことが難しいのかどうかを試したのが今回の検証で、当日は満潮となる14時前を想定し12時30分に新羽橋をスタート。
大倉山6丁目の太尾河岸跡付近(対岸は新吉田東7丁目付近)まで鶴見川をいったん下り、そこで折り返して新羽橋の上流にある新横浜・小机方面を目指しました。
新横浜の横浜アリーナ手前付近には鶴見川が90度近く曲がって鳥山川と分岐する通称「大曲」と呼ばれる場所が存在。
4人の漕ぎ手による「舟運丸」と7人が漕ぐ「たちばな」の2艘は、港北高校(大倉山7)や港北水再生センター(同)付近までは順調に遡上したものの、大曲に差し掛かると水の量が多くなり、速くなった水流に行く手を阻まれます。
たちばなは大曲を越えられる可能性があったものの、4人で漕ぐ舟運丸では難しかったことから無理をせず、これ以上はさかのぼることを断念。
複数人が乗る手漕ぎ船では大曲を越えることが難しいという状況を示し、鶴見川の舟運が太尾河岸を終点としていた理由の一つを解き明かすことにつなげました。
今回の検証は港北ふるさとテレビ局が映像撮影を行っており、今後YOUテレビ(鶴見区)の歴史番組「横浜ミストリー」のなかで映像が使われる予定です。
なお、鶴見川舟運復活プロジェクトでは、鶴見川の自然や文化を継承する活動も積極的で、今後は新横浜公園の小机大橋寄りに設けられた水田で「田植え」などを行っていくとのことです。
(※)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の一部共通記事です
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・日吉駅や綱島街道など「鉄道と道路の歴史」を解説、貴重な講座映像を公開(横浜日吉新聞、2021年5月24日、鶴見川の舟運についても)
【参考リンク】
・鶴見川舟運復活プロジェクトのFacebook(最新の活動情報)
・鶴見川の舟運とは(鶴見川舟運復活プロジェクト「鶴見川の歴史と舟運」)
・前回2015年の記録映像「手作り舟で鶴見川を漕ぐ~鶴見川舟運検証の記録」(港北ふるさとテレビ局のYouTubeチャンネル)