新横浜・菊名・大倉山・新羽など港北区南部の地域情報サイト
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築城時期や建物の様子など分からない部分の多い「小机城」の輪郭を明らかにする第一歩となりました。横浜市教育委員会と横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターは、先月(2021年)11月から行っている小机城址の発掘調査で、先週12月4日(土)に発掘現場を一般公開し、「柱」の跡らしき穴が多数見つかったことや、水を張らない「空堀(からぼり)」を発掘した際の様子などを見学者に説明しました。

建物の柱穴か、痕跡が多数

「小机城址市民の森」に設置されている案内板、写真下部が小机駅側

今回、調査対象としたのは、「小机城址市民の森」のなかで二の丸広場の南側、櫓台(やぐらだい)の正面に位置する「東曲輪(ひがしくるわ)」と呼ばれる平地と、普段は非公開となっている本丸広場に近い斜面「北空堀(きたからぼり)」の2カ所で、調査面積は計53.3平方メートル。

いずれの調査場所も重機が入れるような道はないため、今年11月1日から調査員による手堀りで掘削していったといいます。

二の丸広場に近い「東曲輪」では、南北15メートル、東西10メートルにわたって地表面を掘り進め、60センチほど掘ったところで「関東ローム層」(数万年以上前の地層)を検出。この上面を細かく調査しました。

東曲輪(ひがしくるわ)の発掘調査では、柱の穴とみられる痕跡が多数見られた、写真の上部が櫓台側(横浜市教育委員会提供)

畑として耕作していた跡が見つかる一方、柱の穴とみられる痕跡を多数確認。穴の直径は30センチから60センチで、深さもさまざまでしたが、一部の穴と穴の間隔が1.8メートルだったといいます。

「柱穴(ちゅうけつ)の場所が被っているところもあり、建て替えられているのかもしれないが、配列から見て何らかの建物の柱だった可能性が高い。礎石(そせき)のない、いわゆる“掘っ建て柱”の跡ではないか」(横浜市教委/ふるさと歴史財団埋蔵文化財センターの現地説明)とみており、「今回の発掘で建物の形が見えてくるかもしれない。今後、細かく検討していきたい」(同)と説明していました。

空堀を覆う土の中から土器

空堀(からぼり)の調査では地表から2.4メートルの深さまで掘っても底が現れなかった

一方、本丸広場に近い「北空堀」の調査は、空掘の斜面にかかる4.5メートル四方で、後の時代に堆積(たいせき)した土を取り除いたところ、1.7メートルの深さで堀を確認。

堀の傾きは約30度で、「そこまで急なものではないが、(当時小机城を支配していた)小田原北条氏(後北条氏)が(空堀などの)規格を作っていたのかもしれない」(同)といいます。

ただ、今回は地表面から2.4メートルの深さまで掘ったものの、掘の底は見つけられなかったとのことです。

堆積している土の断面を見ると、関東ローム層の上に、ローム質の土が積もっていたといい、これらは本丸広場側から崩落したものと推定。

北空堀から出土した中世の「かわらけ」(素焼きの土器)、現在は歴史博物館で展示中

そのなかから中世の素焼き土器「かわらけ」が出土しており、「出土物を細かく分析することで、空堀に土が崩落した時期を解明できるかもしれない」(同)と話していました。

歴史博物館に特設コーナー

12月4日に行われた現地説明会は、小机を中心としたエリアでのみ告知されるなど地元向けに企画されたものでしたが、当日は午前と午後の2回で計141人が参加

12月4日に行われた現地説明会は、事前告知がほとんど行われていないなか141人が詰めかけた

一定人数しか入れない北空堀の現場には長い列ができたり、市教委とふるさと歴史財団埋蔵文化財センターの調査員に熱心に質問を投げかけたりする様子が見られました。

なお、発掘調査の結果については、来年1月10日(月・祝)まで「横浜市歴史博物館」(センター北駅近く)で開催中の企画展「令和3年度横浜市指定・登録文化財展/浄土の庭」のなかで、「速報!小机城の発掘調査」と題したコーナーが特設されており、現場説明会では見ることができなかった出土品の「かわらけ(土器)」とともに、説明会と同様の内容を盛り込んだ解説パネルが展示されています。

四百年以上前に廃された城

小机城址市民の森に設置されている小机城の想定図

小机城は1400年代半ばまでに築かれたと推定されていますが、明確な築城時期は今も分かっていません

1478(文明10)年太田道灌(どうかん)が鶴見川を挟んで対岸の新羽町・亀甲(かめのこ)山に陣をはり、“長尾景春の乱”で長尾に味方する小机城を攻め落とした際に初めて文献に登場し、その存在が明らかになっています。

「小机城址まつり」の武者行列では歴代港北区長が初代城代の笠原信為(のぶため)にふんして小机城の歴史を伝えてきた(2019年5月)

太田道灌に攻め落とされた後は廃城となっていましたが、数十年後には小田原北条氏(後北条氏)の領地となり、重臣である笠原信為(のぶため)が城代(じょうだい=城主に代わる城の実質的な管理者)として城を再興

以後、小田原北条氏の重要拠点として小机城と周辺は栄えましたが、その期間は半世紀超に過ぎなかったとみられます。

小田原北条氏が豊臣秀吉に亡ぼされ、1590年(天正18)年に徳川家康が江戸へ入る頃までに小机城は再び廃城になったと言われており、その後は復活することがないまま400年以上が経過しました。

今も「中世の山城」の原型保つ

現代まで小机城址は「城山」と呼ばれる“森”として、ほぼ原型をとどめています。

1908(明治41)年に開通した「横浜線」は、城跡とみられる台地を「城山トンネル」と名付けられた80メートルほどの小さなトンネルで通り抜けていますが、1965(昭和40)年に開通した「第三京浜道路」は、本丸広場に近い城跡を高架橋で貫通。一部の遺構が破壊されることになったものの、1977(昭和52)年には横浜市が土地所有者の協力を得て「小机城址市民の森」(4万6000平方メートル)として、一般公開にこぎつけました。

小机城址は市が土地所有者の協力を得て「小机城址市民の森」として残されている

1993(平成5)年からは地元・城郷(しろさと)地区(小机・鳥山・岸根)の住民による「小机城址まつり」も始まり、武者行列などを通じて小机城の歴史を伝え続けています。

中世の山城(やまじろ)の原型を残す城跡として、以前から地元と“城好き”の人々には知られた存在でしたが、2017(平成29)年になると財団法人日本城郭協会が「続日本100名城」に選出。小机城址がより広く注目を集めるようになりました。

一方、これまでに本格的な発掘調査は行われたことがなく、歴史的な価値を判断できないこともあり、市などが指定する「史跡」にはなっていません

第三京浜建設で破壊前に調査

かつて小机城址では、第三京浜道路の工事に際して破壊前の「緊急調査」は行われたことがあり、1964(昭和39)年学習院大学史学部の学生らが発掘を実施しています。

1965(昭和40)年に「第三京浜道路」の高架橋が城址を貫通し、一部を破壊することになったが、それでも多くの遺構が今も残る(写真奥が本丸・小机駅側)

この調査では中世の陶器の細片(細かなかけら)など521点を収集し、2017(平成29)年には同大学史料館から横浜市歴史博物館へ寄贈されていますが、図面などの調査データは、ほとんど残っていないといいます。

地元を中心に詳細な公的調査を望む声は多く、今年度になって市教育委員会が小机城の発掘調査費を予算化。港北ニュータウンなど市内の発掘を多く手掛けてきたふるさと歴史財団埋蔵文化財センターとともに11月1日から発掘を始めていました。

今回のように研究や保存活用を目的とした本格的な「学術調査」は初めてのことで、市教委では今後数年かけて小机城の実態を明らかにしたうえで、保護のあり方を考えていく方針です。

文化庁の補助でイベントも続々

また、今年度(2021年度)は、市による発掘調査とは別に、横浜市歴史博物館文化庁による「地域と共働した博物館創造活動支援事業」の補助金を活用して「よこはま縁むすび講中」と銘打ち、かつて同じ港北区内だった4区(港北・緑・青葉・都筑)を対象に地域文化遺産を生かしたイベントなどを積極的に行っています。

旧港北区(港北、緑、青葉、都筑)の地域文化遺産と市民を結ぶ取り組みとして今年度から始まった「よこはま縁むすび講中」の公式サイト

旧港北区内のすべてのエリアに関係している「小机城」は、よこはま縁むすび講中でも核となっており、大倉精神文化研究所や小机地域の市民団体「小机城のあるまちを愛する会」などとともに、小机城に関する映像作品の上映会や見学ツアーといったイベントを次々と企画。来年1月22日にはアニメ作品の上映会も計画中です。

今後も継続が期待される発掘調査によって、史跡としての小机城の輪郭が明かされていけば、港北エリアの重要な文化遺産としてこれまで以上にシンボルとなる可能性を秘めています。

広い区民に関心を喚起できるか

横浜市内や周辺には多くの城址が存在しているが、小机城址の重要性や知名度は別格とも言われている(「小机城址市民の森」の案内板より)

一方、区内外の“歴史好き”や“城マニア”と呼ばれるような一定の知識を持った人たちから大きな注目を集め、城郷地区では住民が積極的に地域を巻き込んだ活動によって盛り上がりも見せている小机城址ですが、港北区内で見ると、同地までの物理的な距離や街の成り立ちが異なるなかで、36万区民の関心もさまざまです。

特に小机城は、大型の天守閣や石垣を持った近世の「城」とは異なり、建物の形が判然としない「中世の山城(やまじろ)」であり、歴史的な背景や山城の構造といった知識がなければ全体像を把握したり、想像したりしづらい史跡という特徴を持っています。

今回の発掘調査を契機とし、今後の調査も含めて得られた知見をもとに、一目で分かるような小机城のイメージ図を提示し、築城や廃城時期も明らかにすることで、さらに広範囲にわたる区民の認知度と関心を高めていきたいところです。

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小学・高校生が描く「小机城」を楽しむ、11/20(土)小机駅前で上映会(2021年11月19日、「よこはま縁むすび講中」の一環)

【参考リンク】

中世城郭の遺構を散策してみよう!小机城址ガイドマップ(港北区観光協会、PDF版のダウンロード可能)

横浜市歴史博物館(2022年1月10日まで開催中の企画展では「小机城発掘」のコーナーも)