川の流域単位で解決を図っていく「流域思考」を提唱するNPO法人「鶴見川流域ネットワーキング(TRネット)」(事務局:綱島西)創設者の一人で、慶應義塾大学・名誉教授の岸由二(ゆうじ)さんによる連載。2回目は“暴れ川”として猛威をふるった鶴見川は、今なぜ洪水被害が発生しないようになったのか、そして今後の心配はないのかについて、鶴見川を知り尽くす筆者が過去の歴史をひも解きながら考察します。
【おしらせ】つるみ川のれきしを調べている小学生のみなさんへ
このページは慶應(けいおう)大学の先生で、小さなころからつるみ川の近くでそだった岸ゆうじ先生が書いている文章です。すこしむずかしいところもありますが、これまでの大雨によるひがいのれきしや、こうずいにならないためのたいさくをまとめています。
また「流域思考(りゅういきしこう)」といって、川の上流から下流、そこからわかれている川まで、ふった雨がつるみ川に流れるまち全体で、たいさくをかんがえていくことがだいじだということを書いています。
もっといろいろ知りたいことがあれば、ほごしゃのかたといっしょに、小机(こづくえ)駅の近くにある「鶴見川(つるみがわ)流域(りゅういき)センター」という施設をたずねてみてください。わかりやすく、たのしくまなぶことができますよ。(しんよこはま新聞・編集部)
【連載第2回】暴れ川だった「鶴見川」の記憶、流域思考の連携へ
■ 災厄の歴史を刻んだ鶴見川、多発する洪水
豪雨、激流が田を、街を襲い、全国有数だった綱島の桃生産を壊滅に追い込みました。1938(昭和13)年の「鶴見川大水害」。いま菜の花咲き乱れ、子どもたちの憩う綱島の川辺には、そんな災厄の歴史もあったのでした。
かつて鶴見川は「暴れ川」と呼ばれました。鶴見川に雨水の集まる流域は、7割が丘陵・台地。中・上流に降り注ぐ大雨は、斜面地を刻む支流を駆け下って本流に合流し、氾濫し、江戸の昔から中下流の農地や街を襲いました。
戦後復興から高度経済成長の時代、鶴見川流域の丘陵・台地域で急激な住宅開発が進展します。その結果、流域での保水力や遊水力が低減し、下流低地を中心に洪水が多発するようになりました。
記録に特記されるのは、1958(昭和33)年の「狩野川台風」と1966(昭和41)年の梅雨時に襲来した「台風4号」をきっかけとした大水害です。港北・鶴見地域を中心に、それぞれ2万軒、1.8万軒が水没。私の故郷、鶴見区潮田(うしおだ)の街も一面が水没。一気に上昇する氾濫水で床上浸水となった瞬間を、いまも鮮明に想起することができます。
■ 高まる鶴見川の危機に全国に先駆け対策
1970年代後半、危機はさらに高まり、自治体ごとに「河川法」や「下水道法」を駆使する通常の方策ではもはや対応困難と判断した当時の建設省は、流域自治体(神奈川県、東京都、横浜市、川崎市、町田市)と行政の枠を超えた協議をはじめました。
1980年、その成果として、河川の改修・大浚渫(しゅんせつ)や下水道・大規模遊水地の整備にくわえ、緑地の保全、雨水調整池の整備などの「流域対策」を重視する流域思考の「総合治水」が、全国に先駆けて、ここ鶴見川流域で実施されることになったのです。
それから数十年、流域の治水安全度は着実に向上。1982(昭和57)年の「台風18号」で2700戸超が床下・床上浸水の被害に遭った鶴見地域での大水害以降、鶴見川は大規模水害を経験していません。
そんな鶴見川に緊張が走ったのは2014年10月のことでした。「台風18号」によって、戦後最大の雨量だった狩野川台風に次いで、戦後2番目となる平均で322ミリに達する豪雨が流域を襲いました。狩野川台風時には343ミリの雨で2万戸に浸水被害をもたらしており、かつての鶴見川なら、港北区や鶴見区を中心に数万件が水没するほど豪雨です。しかし2014年時には氾濫被害が起きていません。総合治水の諸施策が、流域規模でおおきな保水力、遊水力を発揮し、安全をまもったのでした。
■ 鬼怒川水害のような雨が降れば阻止できない
洪水は行政単位ではなく、流域という大地の地形が引き起こす災害です。1970年代後半、そう見極めた国(現在は国土交通省)と関連自治体が作り上げた総合治水が、見事、成果をあげたといってよいのです。私たちはそのおかげで、いま、ひと時の治水安全を享受できているのです。
ひと時というのはほかでもありません。温暖化豪雨・海面上昇時代を迎えて、雨の降り方が変わってきたことが危惧されているためです。
2015年9月に鬼怒川の堤防決壊によって起きた「鬼怒川大水害」や、翌2016年8月の「台風10号」によって11人の死者を出した「東北・北海道大水害」の記憶はまだ生々しいはず。たとえば鬼怒川流域を襲った雨が鶴見川流域に降ったらどうなるか。今の体制で氾濫は阻止しきれません。新横浜の「日産スタジアム」周辺にある遊水地は満水となり、港北区、鶴見区をこえ、川崎市幸区、中原区、川崎区にまでおよぶ、数万件あるいはそれ以上が水没する大水害になる可能性も高いとおもわれるのです。
総合治水が支える治水安全の日々をいま享受する私たち流域市民に、そんな雨をもたらす可能性のある近未来の豪雨時代を生き延びてゆく新しい流域連携の文化は、さてどれだけ育っていることでしょうか。川に、流域に親しむ文化をそだて、新時代の挑戦にそなえる工夫が、いま切実に必要とされているのだろうと思うのです。
■ 「豪雨海面上昇」時代に備えた新ビジョンとは
総合治水の実践の進んだ鶴見川流域では、2004年夏、治水だけではなく、河川水質、自然環境保全、地震防災、そして水辺触れ合いを軸にした流域文化の育成などの領域にまで流域連携を拡大した新時代の流域ビジョン、<鶴見川流域水マスタープラン>が策定されています。
総合治水対策を多自然・多機能化する施策ともいわれるこのプラン(略称「水マス」)は、一昨年、10年目の見直しが行われ、豪雨海面上昇時代にそなえる新たな治水・減災対策の推進が焦点に掲げられているのです。
地域、流域、学校、企業、市民への浸透のまだ十分でないビジョンなのですが、1980年の総合治水がその後の流域の安全を大きくささえて全国のモデルとなったように、<水マス>こそ、温暖化豪雨海面上昇時代の未来の鶴見川流域の安全・安らぎを支え、全国に流域思考のモデルをしめすべき、つぎの流域計画となってゆくのだろうと思われます。
■ 暴れ川の記憶を学べる小机の「流域センター」
2014年10月の豪雨にみごとに立ち向かった新横浜の多目的遊水地の脇に、水マスタープランを啓発する国土交通省の地域防災施設、「鶴見川流域センター」(小机駅近く)があります。
開館は、火曜日を除き朝10時から~夕方17時まで。床一面の流域写真地図、鶴見川に暮す魚たちのミニ水族館(市民ボランティアで維持されています)、たくさんの学習図書や資料もそなえ、鶴見川の防災、減災、自然環境の歴史を学び、温暖化豪雨時代の未来を学び考えることができる流域思考のセンターです。暴れ川の記憶を思い出し未来にそなえる流域思考を学ぶ。まずは流域センター訪問から始めてほしいと思います。
新時代の挑戦にそなえるための防災交流・環境文化文化の育つ場所は、流域センターのような行政施設ばかりではありません。学校も企業の広報施設も市民活動の拠点やイベント会場も、どれもそんな仕事の現場です。
いま菜の花咲きにおい、子どのたちの歓声のひびきわたる綱島川辺は、そんな文化を発信する流域最大の川辺の流域思考基地になってゆく可能性あり――、私はそう信じているのです。
<執筆者>
岸由二(きし ゆうじ):鶴見川流域の鶴見区・港北区の水辺で遊び育つ。神奈川県立鶴見高校・横浜市立大学・東京都立大学大学院、慶應義塾大学助手、助教授をへて、1991 年から同教授。2013年定年をむかえ慶應義塾大学名誉教授(理学博士・生態学専攻)。地域では、鶴見川流域、三浦半島南端部・小網代(こあじろ・三浦市)などを含む多摩三浦丘陵等において、<流域思考>に基づく防災・環境保全型の都市再生にかかわる理論・実践をすすめている。国土交通省河川分科会委員、鶴見川流域水委員会委員。
(提供:NPO法人鶴見川流域ネットワーキング=TRネット)
【関連記事】
・<コラム流域思考>温暖化時代の危機はすぐそこに、“流域思考”を鶴見川から育もう(2017年6月2日、連載第3回)
・<コラム流域思考>春爛漫の綱島・鶴見川~憩いの場となった川辺は地域の誇り(2017年4月1日、連載第1回)
【参考リンク】
・鶴見川流域水マスタープランについて(国土交通省京浜河川事務所)
・鶴見川の歴史年表(水害の歴史)(国土交通省京浜河川事務所)
・2014年10月「台風18号」による大雨について(PDF、国土交通省京浜河川事務所)