「想像以上に激しいスポーツ」の電動車椅子サッカー大会が、“無観客”ながらも3年ぶりに復活。
地元・横浜を拠点に活躍する選手たちも、激しくも華麗なプレーを展開しました。
横浜マリノス株式会社(新横浜2)と、一般社団法人F・マリノススポーツクラブ(同)は、先月(2022年)11月20日(日)、「電動車椅子サッカー大会~パワーチェアーフットボールinヨコハマ」を障害者スポーツ文化センター「横浜ラポール」(鳥山町)で3年ぶりに開催。
新型コロナウイルス感染症対策として無観客で開催、例年より規模を縮小しての実施となったものの、「コロナ禍」を乗り越えての久しぶりの大会に、躍動する選手のプレーに笑顔も多くみられていました。
同大会は、“横浜F・マリノスカップ”として、「FIFAワールドカップ(日韓大会)」がおこなわれた2002(平成14)年から毎年開催。
「電動車椅子サッカーや地域社会の障害(がい)者スポーツの理解度・関心度の向上に繋げる」こと、また「選手が大会を通じて仲間や地域社会との繋(つな)がりを実感するとともに、選手としてのさらなる成長及び競技の普及・育成を図る」という目的で実施してきましたが、新型コロナ禍の影響を受け、2020年と2021年は開催中止となっていました。
今回、3年ぶりの開催をおこなえたことについて、草創期から大会の実施に尽力してきたF・マリノススポーツクラブの望月選さんは、「本来はより大きな規模でおこなってきましたが、今回は、来年に向けての“プレ大会”という位置づけになります」と説明。
今年5月に静岡県でおこなわれた全国大会の感染対策を参考に、今回は宿泊を伴わない「日帰り圏」のチームをのみ招き実施することができたと語ります。
同大会の草創期から協力をおこなってきた横浜ラポールで施設の管理運営を担当する小島匡治担当課長は、「当館で電動車椅子サッカー教室をおこなっていたこと、その受講者のつながりなどから、『電動車椅子サッカー横浜連絡会』(野田拓郎会長)が生まれた経緯がありました」と、電動車椅子サッカーがこの横浜の地で発展してきた経緯を振り返ります。
さらに、「当時のマリノス内に『ふれあいサッカープロジェクト』を立ち上げたディレクター・木村浩吉さん(当時)の尽力もあり、大会が立ち上がることになりました」と、大会が誕生し、今につながる発展を遂げたことを小島さんは喜びます。
「野田さんをはじめ、日本代表選手が多く誕生しています」と、電動車椅子サッカーが地域に根付き、横浜を拠点に活躍する選手たちが世界大会でも活躍するほどの実力を備えてきたというその歩みについて、誇らしく、また嬉しくも感じているかの表情で称(たた)えていました。
自立した歩行ができないなど比較的重度の障害を持った選手が多いといわれる「電動車椅子サッカー」ですが、F・マリノススポーツクラブでホームタウン・広報を担当する服部哲也さんは、「想像以上に激しいスポーツであることを感じていただけたのではないでしょうか」と、初めて観た時は“衝撃を受けた”とも語るその競技の魅力を語ります。
電動車椅子の前にフットガードを取り付け、手や顎(あご)などでコントローラーを操り、直径約32.5センチメートルのボールをパスやドリブル、回転シュートなどを駆使し点を取り合う迫力あるプレーを展開するという(一般社団法人日本電動車椅子サッカー協会)その瞬間を、参加者一人ひとりが分かち合い、今後の活動の本格的な再開に向けての決意を共有しているかのようでした。
選手にとっては、日々の練習機会をも制限せざるを得なかった「コロナ禍」を乗り越えての、来年(2023年)の「横浜F・マリノスカップ」の本格的な再開、また来年こそは「有観客」で無事におこなえることを楽しみにしたいところです。
【関連記事】
・ハンディ乗り越えサッカーを楽しむ、マリノスが「小学生」向け初教室を新吉田で(2021年7月15日)
【参考リンク】
・電動車椅子サッカー大会実施報告(横浜F・マリノス)
・電動車椅子サッカーとは(一般社団法人日本電動車椅子サッカー協会)