新横浜・菊名・大倉山・新羽など港北区南部の地域情報サイト
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今回も歴史深い「綱島」を巡ります――。港北区の歴史や文化、現在の見どころを歩く連載「【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き」の第6回は、綱島地区の「後編」として、駅の西口側「綱島西エリア」をご案内します。

港北区内を12の地区に分け、地域の歴史や名所・旧跡、名物や新たな街の動きを紹介するというコンセプトの本連載の執筆は、歴史エッセー『わがまち港北2』(2014年5月)と『わがまち港北3』(2020年11月)の共同執筆者としても知られる林宏美さん(公益財団法人大倉精神文化研究所研究員)が担当しています。前編の「綱島東エリア」に続き、綱島西エリアの歴史散策を始めましょう。

)特記のない限り、本連載の写真は筆者・林宏美さんによる撮影です
)本連載は「新横浜新聞~しんよこ新聞」と「横浜日吉新聞」の共通記事です

綱島商店街の公式「YouTube」に注目

連載第6回は綱島地区の後編です。後編の執筆を進めつつ綱島の情報を集めていると、綱島商店街の公式YouTube(ユーチューブ)チャンネルが開設されたことを知りました。

綱島商店街による「つなぴちちゃんねる」(YouTubeより)

商店街のキャラクターで幸せの青い鳥「つなぴちちゃん」から名前を取った、その名も「つなぴちちゃんねる」です。筆者は動画に登場するキャラクター、「綱島ピー太郎」が気になっています。

積極的に新しい取り組みを進める綱島商店街、動画での情報発信にも注目です。

さて、前編では東急東横線綱島駅からアピタテラス横浜綱島まで歩きました。後編ではアピタテラスを出発して、まずは綱島公園を目指します。

綱島公園に「高射砲陣地」の歴史

アピタテラスから綱島公園へ行くためには、綱島駅方面へ戻ることになります。「北綱島交差点」で横断歩道を渡り、東横線の高架沿いを綱島駅方面に歩いていきます。住宅街に出て、高台の木々の緑を目指して進んでいくと、綱島公園に行く階段が見えてきました。

綱島公園へと続く階段(6月21日)

階段を上り切ると綱島公園の多目的広場(大はらっぱ)に出てきました。毎年桜の時期にはここで「綱島公園桜まつり」を開催しています。「小机城址まつり」「大倉山観梅会」とともに“港北三大祭り”の1つに数えられる綱島公園桜まつりは、昨年(2020年)が30回の節目でしたが、残念ながらコロナ禍のために2年連続で中止となっています。

綱島公園の多目的広場(大はらっぱ)(5月31日)

大賑わいの「綱島公園桜まつり」(2016年4月2日)

桜まつりでは、模擬店、お楽しみ抽選会、地元の子どもたちやサークルなどの演示、カラオケ大会など、さまざまなアトラクションが行われ、多くの人で賑わいます。桜もお祭りも心置きなく楽しめる、そんな日常が恋しいです。

綱島公園は、江戸時代には朝鮮国王から幕府に贈られた高麗雉(こうらいきじ=キジ)が放し飼いにされ、村民が見張りをさせられていたと伝えられています。また、戦時中には高射砲陣地として一部分が軍に買い上げられた歴史もあります。

今は広場でボール遊びをしたり、遊具で遊んだり、子どもたちが元気に走り回れる公園です。また、多目的広場の北側にある綱島公園こどもログハウス「モッキー」も、中に迷路や滑り台などの遊具があり、人気の遊び場です。以前は中を走り回る子どもたちの声や足音がよく聞こえましたが、現在は遊具の使用や利用人数に制限を設け、時間入替制での利用となっています。

綱島公園の子供の遊び場。ブランコや滑り台など、3歳~6歳の未就学児を対象とした遊具が設置されており、親子連れやベンチでくつろぐ人の姿が見られる(6月21日)

綱島公園こどもログハウス「モッキー」。小学生を対象とした遊び場(5月31日)

ログハウスの入口に掲げられた「モッキー」の看板、この日は休館日(6月21日)

2年ぶり営業再開の「公園プール」

公園内にはプールもあります。綱島公園プールは、昨夏は営業を中止しましたが、今年は整理券配布による人数制限と1日4部の入替制、入替時の消毒実施により、今年(2021年)は7月10日からオープンしました。

綱島公園プール入口の案内。8時45分から整理券配布が開始され、9時から2時間ずつで、間に消毒の時間を挟んだ4部制での利用となっている(7月19日)

営業開始後の某日、前を通りかかると、プールで遊ぶ子どもたちの楽しそうな声が聞こえてきました。小・中学校も夏休みに入りましたので、今頃その賑やかさはさらに増しているかも知れません。ちなみにプールは営業時期以外、テニスコートとして使用されます。

シーズンオフの綱島公園プールは、テニスコートとして使用される(2015年12月7日)

鶴見川流域の歴史を語る綱島古墳

プールから通路を挟んで向かい側、公園の南側には「綱島古墳」があります。

説明板には、5世紀の末葉の築造と考えられ、鶴見川流域で現存し、かつ築造時期が知ることが出来る数少ない古墳であり、地域の首長の墓と推定される旨の記載があります。1989(平成元)年12月25日に横浜市指定有形文化財(史跡)に指定、平成2(1990)年に保存整備がされました。

綱島古墳の説明板。全体図、発掘前の景観や出土品の写真なども見られる(5月31日)

綱島古墳西側。造作が加えられ平らになっている。ここには「桃里庵」という茶室があった(5月31日)

なお、古墳の上は造作が加えられて一部平らになっていますが、ここにはかつて茶室「桃里庵」が建てられていました。

 彩る花壇と「つなつなプロジェクト」

公園内を歩いていると、以前にはなかった複数の花壇が目に入ります。花壇には「フローラルつなしま運営委員会」「花と緑で人をつなぐ『つなしま』―つなつなプロジェクト―」と書かれたサインが設置されていました。

綱島公園の花壇、中心には桜が植えらている(5月31日撮影)

花壇には「つなつなプロジェクト」のサインが設置されている(5月31日)

つなつなプロジェクト」は、新しい住民と以前からの住民=「人」をつなぎ、鶴見川の水辺・綱島公園の丘・街中の花壇やプランター=「緑」をつなぎ、子どもたちと地域の歴史=「時間」をつなぐこと。地域の緑の拠点を線でつなぎ、面へと広げていくこと。地域活動の担い手の発掘と仕組みをつくること――という3つの目標のもとに、綱島の新しいまちづくりを進めています。

綱島公園の花壇(6月21日)

子供の遊び場方向を写したもの。多目的広場の方に花壇はない(2016年2月17日)

フローラルつなしま」は、この「つなつなプロジェクト」を推進する複数の関係団体の総称です。

綱島公園の花壇のほか、街の中に新たに設置された花壇やプランター、そして綱島小学校入口交差点の「ピーチ花壇」や、綱島交差点の「なごみ花壇」などの既存の花壇にも、季節の花や緑が植えられ、地域に彩りを与えています。

綱島小学校入口交差点にあるピーチ花壇(5月31日)

桃の形をしたピーチ花壇の説明板。「ピーチ花壇1」とあるが、以前は3つのピーチ花壇があった。ちなみに2は花壇1の向かいにあるセブンイレブン前、3は大綱橋の脇。現在は花壇2と3に「ピーチ花壇」の表示はない(6月21日)

大綱橋のたもとにある「桃の木がある癒しの花壇」。以前はここが「ピーチ花壇3」だった。花壇は2020年度「みど*リンク」アクション(東急株式会社)の支援を受けて、整備が行われた(5月31日)

綱島交差点のなごみ花壇(5月31日)

なごみ花壇の説明板(5月31日)

交差点での信号待ち、散策や帰宅の途次、花があるとないでは、その場の空気もそこにいる人の気持ちも全く違うように感じます。

「綱島市民の森」の豊かな自然

さて、そろそろ綱島公園を出て先に進みましょう。モッキー裏手の階段を下り、再び住宅街に出てくると、「綱島市民の森」への案内板がありますので、案内に従って森へ向かいます。

綱島市民の森の案内板(5月31日)

綱島公園から市民の森に行く間に撮影。高台にあることがわかる。約7000~6000年前、縄文海進で海抜が高かった頃は、このあたりが島の様に浮き出ていたことが、綱島の由来になったともいわれる(7月19日)

市民の森」とは、1971(昭和46)年度に制定された横浜市独自の緑地保存制度で、森は市の所有ではなく民地です。

山林所有者の協力のもとに緑を守りつつ、市民の憩いの場としているもので、港北区内には綱島市民の森の他、小机城址市民の森、熊野神社市民の森の3か所の市民の森があります。

綱島市民の森の入口(7月19日)

ひのきの森広場の景色(7月19日)

綱島市民の森は、1991(平成3)年10月26日に市民の森として指定されました。何も知らずに突如連れて来られたら、どこの山奥かと見紛うほど、豊かな自然があります。市民の森入口から程近いひのきの森広場で上を見上げると、つい先程まで住宅街にいたとは思えない景色です。

森の管理は「綱島市民の森愛護会」が行っていますが、自然に極力手を入れず、散策に必要な最低限の管理という方針で森を守っています。

森の中にはかつて、五穀豊穣などを祈願した大北谷神社があった。市民の森整備に伴い、老朽化していた社殿は撤去され、説明板が設置された。今も周囲には参道の石段や石碑が残る(2015年12月7日)

森の中は高低差があり、枯葉や落ち葉の上を歩く。服や靴は自然散策に適したもので臨みたい(7月19日)

市民の森のガイドマップは横浜市のホームページからダウンロードが出来ます(PDF版ガイドマップのダウンロードはこちら)。マップ片手に自然とのふれあいを楽しむのも良さそうです。ただし、自然散策にはゴミの持ち帰り、生物の持ち出しや持ち込みをしないといったルールもあります。ルールを守って自然を楽しみましょう。

綱島桃まつり会場「桃の里広場」

綱島公園から綱島市民の森を東に抜けていくと、「桃の里広場」へと出ますが、途中には展望台があります。

右側の階段が綱島市民の森方面。左側に見える柵は展望台(5月31日)

展望台からは、みなとみらいのランドマークタワー、新横浜プリンスホテルなどの高層ビルがよく見えます。しかし、筆者としてはその間の丘の上から、ひょっこり頭を出している大倉山記念館もぜひ見て欲しいです。

綱島市民の森の展望台(7月19日)

展望台からの景色。左端にランドマークタワー、中央やや右に新横浜プリンスホテル、そのちょうど間で大倉山記念館が僅かに頭を出している(5月31日)

大倉山記念館にズームして撮影(5月31日)

展望台の景色を堪能したら「桃の里広場」へと出ましょう。ここでは毎年「綱島桃まつり」が開催されています。

桃まつりは、綱島の桃栽培の歴史を未来へと伝えることを目的に始まりました。お祭りでは、桃の苗木の頒布や、綱島で栽培した日月桃(じつげつとう)を使用した「綱島桃エール」、その他の飲食物の販売、ロールパンづくりや竹細工づくりの体験などもあり、規模は小さいながら、お祭りを楽しみつつ地域の歴史を大事にする意識を育む、そんなお祭りです。

桃の里広場(5月31日)

2016年の「綱島桃まつり」。この時は第20回の節目だった

綱島桃まつりのロールパン作り体験の様子(2016年3月13日)

日本桃太郎の会によるパフォーマンスも毎年恒例だった(2016年3月13日)

桃まつりは昨年2020(令和2)年に第24回を開催する予定でしたが、残念ながら桜まつり同様、2年連続で中止になっています。

飯田家住宅と「天然氷」の歴史

桃の里広場から少し足を延ばすと、旧北綱島村の名主家、飯田家住宅があります。

飯田家住宅の長屋門。青空に茅葺屋根の佇まいが美しく映える(5月31日)

現在もご当主がお住まいで、一般公開はされていませんが、長屋門は通りに面しており、いつでも見ることが出来ます。ここもまた綱島の歴史に関わりのある場所ですので、行ってみましょう。

飯田家の主屋は1889(明治22)年の建造、表門は江戸時代後期の建造とされています。1994(平成6)年に横浜市指定有形文化財に指定され、門の前には横浜市が設置した説明板があります。

飯田家住宅の説明板。全体図は1889(明治22)に刊行された『大日本博覧絵』掲載の銅版画。主屋は火災で建て替えられているが、長屋門は当時と変わらない(5月31日)

最近では今年2021(令和3)年1月から3月に長屋門、2019(平成31)年に主屋の屋根の葺き替えが行われています。作業の様子は「港北ふるさとテレビ局」が撮影しており、2019年の葺き替えは、映像作品「飯田家住宅の屋根葺き」や写真集が制作されています。映像はDVDで販売されており、予告版はYouTubeでもご覧いただけます。

また、飯田家はかつて港北区の地場産業だった天然氷の製造を始めたことでも知られています。昔の港北区は冬になるとマイナス10度になることも珍しくなく、明治の初めから関東大震災まで、天然氷の生産が盛んに行われていました。詳しくは「シリーズわがまち港北第43回~天然氷で村おこし」をご覧ください。

綱島上町のラジウム鉱泉「富士乃湯」

飯田家住宅から今度は綱島上町方面へ向かいます。「子母口綱島線(県道106号)」を渡って早渕川へ行く途中にある綱島上町共栄会通りには、ラジウム鉱泉の黒湯に入れる銭湯の一つ、「富士乃湯」があります。

街灯につけられた「綱島上町共栄会」のサイン(5月31日)

「富士乃湯」の入口にはシャッターが下りていた。営業時間は15時30分からで、この時はまだ昼過ぎ(5月31日撮影)

富士乃湯の3階にある綱島卓球センターへの入口。卓球教室の案内が掲示されている(5月31日撮影)

黒湯も気になりますが、その3階にある綱島卓球センターも元卓球部の筆者として気になります。オリンピックでの卓球混合ダブルス金メダルや、女子シングルスの伊藤美誠選手の銅メダルもありましたので、卓球人気はまた高まりそうです。お風呂で散策の汗と疲れを流したいところですが、まだ銭湯の開店までは時間がありますので、散策を続けます

青学グラウンドは大規模マンションに

そのまま早渕川にかかる新川橋へと歩いていきます。橋の向こうには全19棟、945世帯が居住する大規模マンション、グリーンサラウンドシティが建っています。

ここには、1951(昭和36)年から2001(平成13)年まで青山学院大学の綱島総合グラウンドがありました。

新川橋の上から撮影したグリーンサラウンドシティ(6月21日)

当時は敷地内に野球場、ラグビー場、馬場、400メートルトラック、陸上競技場、サッカー場、軟式庭球場、硬式庭球場などが整備され、体育会各部の拠点となっていました。マンションとなった今も、敷地の中央を走るポプラストリートにグラウンド時代の名残を留めています。

グリーサラウンドシティ北側。ポプラストリートは敷地の中央を南北に貫いている(5月31日)

筆者が港北区と縁を持つようになった時には、既にグラウンドはありませんでした。学生時代に青山学院大学が所属する東都大学野球リーグを神宮球場へ見に行っていた身としては、綱島で練習に励む硬式野球部をぜひ見たかったです。

青学のグラウンドと硬式野球部の話は、シリーズわがまち港北の第204回「青山学院大学綱島総合グラウンド~港北区と野球の関係・その2」で紹介していますので、そちらもぜひご覧ください。

この場所は早渕川沿いで、新川橋と三歩野橋のちょうど間にあり、昔は「三歩野耕地」と呼ばれていました。ちなみに地名としては「さんぶや」、地元では「さんべや」とも呼ばれていたようですが、橋の名前は「さんぶのばし」です。

三歩野橋とグリーンサラウンドシティ(2020年4月、横浜日吉新聞)

三歩野耕地の由来は、綱島村・太尾村・吉田村の三ヶ村にまたがった耕地だったこと、三歩しか収穫がない耕地だったこと、中世の御家人が相続のために所領を三つに分けたからなど、諸説あります。収穫が少なかったのは、この場所が鶴見川と早渕川の合流地点付近で水が出やすい場所だったことから、台風が来る前に一気に作物を収穫したからともいわれます。

創立70年の綱島小にある「土俵」

新川橋から三歩野橋、そこから綱島駅の方へ歩いていくと、綱島小学校が見えてきます。昨年創立70周年を迎えた同校といえば、校舎よりも高く成長したイトスギ、そして創立70周年のシンボルマークにもなった土俵でしょう。

綱島小学校のイトスギ(2016年2月17日)

綱島小学校の土俵(2016年2月17日)

綱島小学校正門には、今も70周年のシンボルマークが掲示されていた(5月31日)

現在の土俵は1981(昭和56)年に作られたもので、毎年夏には「綱島こどもすもう大会」が開催されてきました。しかし、2018(平成30)年以降は荒天とそれに続くコロナ禍のために、今年まで大会中止が続いています。次回開催される大会は記念すべき第50回です。来年には土俵上での熱戦が見られることを願っています。

かつてこの土俵を踏んだ現役力士の鳩岡良祐さんは、去る7月の名古屋場所で三段目優勝を果たしました。これまでには序ノ口、序二段でも優勝しています。

2019年の横浜アリーナ場所での鳩岡良祐さん。取組と共に「横浜市港北区出身」のアナウンスも会場を沸かせた(2019年4月27日)

学生相撲出身で、多くの関取を輩出している木瀬部屋(東京都墨田区)に所属して稽古を積んでおり、実力は十分です。しかし関取まであと一歩というところで、膝の大けがに苦しんでいます。名古屋場所では緑区出身の荒篤山の新十両が話題となりました。9月場所で幕下に戻ってくる鳩岡さんの活躍、港北区からの新たな関取誕生に期待します。

水と花と彫刻文化のある街を目指す

綱島小学校から綱島駅を目指して、パデュ通りを歩いていくと、所々に彫刻が置かれていることに気づきます。

実は綱島は「水と花と彫刻文化のある街」をコンセプトに掲げており、彫刻も綱島の特色です。この周辺は元々旅館が立ち並ぶ温泉街でしたが、交通網の発達とレジャーの多様化を受け、モール商店街として生まれ変わりました。

パデュ中央広場の彫刻「舞い降りた愛の神話」(作:一色邦彦さん)(7月19日)

ブックオフ(BOOK OFF)港北綱島西店前にある「ON STONE」(作:八田隆さん)(7月19日)

サンマルクカフェ綱島西店(7月31日閉店)の前にある「玉の童」(作:田中毅さん)(7月19日)

「モール」は、遊歩道や、歩行者専用区域を設けた商店の通りという意味です。パデュ通りの名称は、横浜市と姉妹都市でもあるフランス・リヨンにある「ラ・パデュ・ショッピングセンター」を由来としています。

「イトーヨーカドー綱島店」の正面、パデュ中央広場に建つ彫刻「舞い降りた愛の神話」は、シンボルとして、1983(昭和58)年10月8日に設置されました。彫刻はパデュ通り周辺を中心に12体が設置されており、うち5体は「舞い降りた愛の神話」を制作した一色邦彦さん(1935年生まれ、茨城県育ちの彫刻家)の作品です。

楽しい彫刻、美しい彫刻、かわいらしい彫刻と、さまざまな彫刻があります。散策やお買い物がてら、ぜひ探してみて下さい。

おわりに~丘の自然から芸術作品まで

彫刻を探しつつ綱島駅へ戻ってくると、駅西口のりそな銀行綱島支店前にも一色邦彦さんの彫刻「結」があります。住民の方にはもう見慣れた彫刻かも知れません。これで綱島散策は終了です。後編は丘の自然から芸術作品までバラエティに富んだ散策となりました。

ちなみに綱島駅西口のウエストアベニュー通りの石畳には、桃や土俵、ログハウスといった綱島の特色となる事物を描いたタイルが埋め込まれています。

綱島駅前、ウエストアベニュー通りのタイル「桃」(2013年4月1日)

ウエストアベニュー通りのタイル「土俵」(2013年4月1日)

ウエストアベニュー通りのタイル「ログハウス」(2013年4月1日)

また、街中の標識や街灯の柱などにも綱島の名所を案内するサインが設置されています。これはその場所へのアクセスだけでなく、地域を知るための道標にもなるはずです。ぜひチェックしてみて下さい。

綱島の名所や史跡を案内するサインが、街の各所に設置されている。このサインを探して歩くのも楽しい(2013年4月5日)

今年は昨年よりも2週間以上早く梅雨明けが明けましたので、長く暑さ厳しい夏になりそうです。熱中症や脱水症に十分気を付けて過ごしましょう。

<執筆者>
林宏美(はやしひろみ):1982年4月神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年4月大倉精神文化研究所非常勤職員、2011年7月常勤。2014年4月同研究所研究員、2021年4月から図書館運営部長(研究員兼任)。勤務する研究所の創立者・大倉邦彦氏と誕生日がピッタリ100年違いという奇跡の巡りあわせにより、仕事に運命を感じている。小田原市在住(2011年から2014年まで大倉山に在住)。趣味はカラオケとまち歩き。一児の母。子育ての合間にSNSで地域情報をチェックするのが日々の楽しみ。冬の澄んだ青空の下で見る大倉山記念館と梅の時期の大倉山の賑わいが好き。

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【わがまち港北番外編】こうほく歴史まち歩き~第3回:菊名(前編)ー新横浜周辺ー(2021年3月10日)

【こうほく歴史まち歩き】第4回:菊名駅から古刹、図書館、城跡、桜の名所へ(2021年4月20日)

【参考リンク】

書籍『わがまち港北』公式サイト(『わがまち港北』出版グループ)