自分が奏でる音楽が、人と人をつなげ、また子どもや赤ちゃんにも受け継がれていくとしたら、それはどんな喜びとなるのでしょうか。一人の女性が、出産、育児、夫の海外転勤という境遇をバネに、大倉山を拠点としての音楽の普及活動を続けています。
音楽家と保育士による、妊婦や乳幼児親子を対象としたコンサートを企画・実施しているNPO法人ハッピーマザーミュージック(大倉山3)の理事長(代表理事)・鈴木美美子(みみこ)さんは、「音楽やお話を聴いて、ふっと気持ちが軽くなったり優しくなれたりした経験はありませんか。音楽療法や読み聞かせとして知られてきた音楽とお話の力。その2つを組み合わせたのがハッピーマザーミュージックのコンサートなんです」と、幼少時より志してきた音楽の道で、一人でも多くの人々に“幸せを届けたい”と、その命名由来についても語ります。
結婚や出産、夫の海外赴任に同行しながら、なぜ鈴木さんが「音楽で人をつなぐ」道での活動を行うに至ったのか。
街のピアノの先生としても地域の人々に愛されながら、大倉山のコミュニティ・カフェとして知られる「大倉山ミエル」(大倉山4)の運営法人(NPO法人街カフェ大倉山ミエル)にも理事として参画し、街のコミュニティづくりにも貢献している鈴木さんがこれから先の未来に抱く想いとは。
「人と人をつなぐ」試みの大きなきっかけとなった海外・シンガポールでの出来事とは。その経験、鈴木さんのこれまでの歩みについて話を聞きました。
幼少時から親しんだ「ピアノ」、練習嫌いでもコンクールに
鈴木さんは高知県高知市生まれ。「高知城の城下町で育ちました」と、まだ舗装されていなかった道に橋が出来て幹線道路になったという記憶が残っているといいます。
実家は薬なども扱う小さなお店。祖母が立ち上げ、母が手伝っていたといい、「祖母、そして母が商売する姿を見て育ちました。母のおさななじみが音大に進学したり、学校の先生になったりするなど、“勉強で身を立てる”友人らの姿に憧れを抱いていたようです」と、3歳の頃には、母の意思でピアノを習いはじめることになったという、その“きっかけ”について説明します。
クラシックギターも習っていたという父親の趣味で、「家にあったステレオからは、ベートーヴェンの交響曲など、クラシック音楽が毎日鳴り響いていました。家には音楽があふれ、物心ついた頃には、既にピアノを弾いていました」という鈴木さん。
練習は大嫌いだったという鈴木さん。しかしその努力が実り、全四国音楽コンクール(同実行委員会・毎日新聞支局主催)で、小学校6年生の頃から高知県代表(2人枠)に4回選出。全四国での順位も4位から、高校3年生の頃には1位に入賞。「父が好きだったベートーヴェンのソナタを弾いて、結果を出すことができました」と、厳しかった中にも、音楽を極めることが出来た四国での青春時代について、しみじみと振り返ります。
「音楽の道」への決意、そして“心の耳で聴く”奏法との出会い
高校卒業後は、東京の武蔵野音楽大学(練馬区)ピアノ専攻に進学。大学で奨学生としても選考され、卒業演奏会でも演奏。卒業後も音楽の道へと、東京に残ることを鈴木さんは決意します。
音楽大学を卒業した人を対象とし演奏表現を学ぶコースの最高峰を目指すというカリキュラムで知られる、尚美ミュージックカレッジ専門学校コンセルヴァトアール ディプロマ科(文京区)で学んでいた頃、都内の音楽教室で講師となった鈴木さん。
「ウィーンで音楽教育を学んだ経営者と、ヨーロッパと日本のピアノ教育のギャップを何とかしたいという思いで意気投合、理想の音楽教室を創ろうと燃えました」と、音楽教室の運営に参画し、その運営に情熱を燃やすことができたといいます。
尚美ディプロマコースの修了直前に、クラスメイトの紹介で出会った「ツィーグラー奏法」(ドイツのベアタ・ツィーグラー女史=1885~1959=が生み出した「魂の耳で奏でるピアノ奏法」)に感銘を受け、「“心の耳で聴く”ということを初めて知りました。それまでのピアノ教育で得た自身の常識がまさに“ひっくり返り”、この奏法を広めたいという夢を抱くようになったんです」と、根本的にピアノのタッチが異なる演奏手法を体得。
「それまでの先生方に習ってきた演奏も、ようやく、納得して弾くことができるようになったんです」と、優しさや美しさを「魂の響」として奏でることこそが、今の「人と人をつなぐ」「子どもたちや母親たちへ向けた音楽活動」の原点になったと語ります。
海外・シンガポールで「運命の日々」、0歳からのコンサートも
尚美ディプロマコース修了後は、同校による「コンチェルトの夕べ」コンサートや、学生時代から行っていた首都圏近郊での出張レッスンなどで、精力的に音楽活動を行っていた鈴木さん。
20代の終わりに結婚・出産した鈴木さんは、夫の転勤で、海外・シンガポール(東南アジア)へ渡航するという、思わぬ生活環境の変化を経験することに。
「生後5カ月の赤ちゃんを連れて渡航したのですが、言葉も通じない、何もかもが初めての環境での子育ては大変辛いものでした。駐在員の妻は、ビザの関係で仕事を行えない時代でした。気持ちを注いできたレッスンもできず、私の人生どうなるんだろうと、不安でいっぱいでした」と、当時の状況を想い起こします。
しかし、ここでも「人とつながる」きっかけは、やはり“音楽”。
1993年には、音楽大学卒の駐在員主婦5人が意気投合し、鈴木さんも発起人となり「シンガポール日本人会音楽同好会」を設立。以降、5年間で100回以上のコンサートを実施したといいます。
「これで一気に充実した生活になりました。クラシックのコンサートに行かなくても、身近に音楽が聴けるとうれしい、楽しい演出があると聴きやすい、というニーズがあることを知ることができたんです」と、今につながる音楽と人との出会いを、ここで実感として体感できるようになったと鈴木さん。
1995年には二代目の会長に就任し、同好会で企画した「赤ちゃんとママの音楽サロン」には申し込みが殺到。当時、駐在日本人主婦の出産は年間約200 人といわれていただけに、「こんな企画を待っていた」「次はいつですか?」との声が相いたことから、赤ちゃんとママのコンサート主催グループ「ぷるちーの」の名で別グループを発足し、隔月で赤ちゃんとママ対象のコンサートを開催するに至ります。
「今でこそ、“0歳から聴く”コンサートは日本全国に広まりつつありますが、オープンで定期的なものとしてはこれが初めてのケースではないか、と今にして思います。発足時も、日本人向けコミュニティ誌で呼びかけたら、会場提供者、演奏希望、スタッフ希望など、40本以上の電話がかかってきたんですよ」と、まさに“運命の日々”と感じた出会い、そして音楽を通じた交流が待ち受けていたといいます。
シンガポールの日本人コミュニティ、また時には現地のローカルの幼稚園や、小・中・高校、障害児施設やホスピスにも出向きコンサートを開催するなど、まさに“言葉を越えた”交流も行えたと、鈴木さんは、自身、そして周囲の人々をつなぐことができたシンガポール時代を、心から懐かしいと、当時をしみじみと振り返ります。
日本に帰国し活動スタート、音楽教室や事業の法人化も
帰国後、「あんなに喜ばれたクラシックの裾野を広げるコンサートを、日本でも公演したい、ボランティアではなく仕事にしたい」と考えた鈴木さん。
大倉山での生活がスタートし、情報を求めてセミナーなどに参加していた中で、ベビースイミングの草分けの指導者として知られる金澤直子さんと出会い、「いい子育てには、まず、お母さんをハッピー(Happy)にすることよ」との言葉に共感。シンガポール渡航当初の「“密室での育児”が辛かった」という経験を踏まえ、「お母さんのための音楽企画ハッピーミュージック(HappyMusic)」として、2001年に活動を始めるに至ります。
ところが、「日本人会会報にお知らせを載せていれば 100人は集まっていたというシンガポール時代とは違って、集客には本当に苦労した」という鈴木さん。しかし、理念に共感してくれた人々の支援もあり音楽活動を継続。
2007年には、公益財団法人横浜市男女共同参画推進協会が女性のための起業支援のために初開催した「女性起業家たまご塾」の第1期生として受講。2008年には、「ハッピーマザーミュージック(2006年に改称)」が、かながわ子ども・子育て奨励賞(神奈川県)を受賞するなど、地域での活動、そして活躍の場を広げます。
そして、夢であった「独自メソッド」を持つ音楽教室として、横浜市から「チャレンジコミュニティビジネス」の認定も受け、2009年に街の音楽教室「音楽響室~音伽舎(おとぎや)」も開設(2013年に新規募集休止、ハッピーマザーミュージックへ活動移行)し、地域のピアノの先生としても人気を博します。
地域の活性化と雇用の創出を目指し、2010年から横浜で開催された「iSB公共未来塾」(内閣府)を受講し、2011年には、同塾の社会起業ビジネスコンペで第2位(優秀賞)受賞。起業支援によって、ハッピーマザーミュージックをNPO法人化し、理事長に就任します。
出産前のパパ・ママへ対象拡大、メディア開設で“地域密着”志す
現在、「音楽と子育てをする幸せを感じてもらいたい」と、ハッピーマザーミュージックでは、大型コンサート「0歳からのおやこコンサート」を、冬(12月)と夏(8月)に横浜美術館レクチャールーム(西区・みなとみらい)、かなっくホール(神奈川区、東神奈川)、中原市民館ホール(中原区、武蔵小杉)、そしてアートフォーラムあざみ野レクチャールーム(青葉区)で定期開催(親子券2000円、追加券1000円)しています。
また、0歳から3歳の親子を対象とした、“音楽とおはなし”の心地よさを、語りと歌声をメインに響かせる、少人数でゆったりと楽しめるという「おやこ響室」(親子券2000円、追加券500円)を、大型公演がある月を除く毎月、大田区民プラザリハーサル室(大田区、下丸子)、港南区民文化センターひまわりの郷音楽室(南区、上大岡)、そしてかなっくホールやアートフォーラムあざみ野の各音楽室などでも企画開催しています。
さらには、出張コンサートを企画実施するなど、時には首都圏各地の保育園などに出向き、「親子で楽しめる」、そして「心に響く」ことを目的とした音楽普及のための活動を実施しています。
鈴木さんは、「シンガポール時代の経験が、やはり大きかったですね」と、自身の運命を変えた海外での経験、そこで出会った「人と人との音楽を通じたふれあい」こそが、今の自分を支えていると感じているといいます。
「2009年、地元での仲間が欲しいと思っていたところに、街づくりプランナー・建築家として知られる鈴木智香子さんら、地域を通じて多くの仲間たちと知り合い、5人の女性で、『大倉山文化村』というイベント開催ユニットを創ったんです。やはり、人と人とが出会って、物事は前に進み、またその感動も共有できるものなのですね」と、人と人とが“つながり、響きあう”ことこそが、人生の幸せだと感じているという鈴木さんが、いつも感じていることとは。
「音楽に、メッセージをのせているんです。子育て中でも、あきらめないで。自分に、環境に、閉じこもることなく、息抜きし、聴く側も、演奏する側も、一緒に音楽を楽しんでいきましょう」と。
今年(2018年)7月には、港北区の助成や各種団体の支援も受け、お腹の中~0歳の赤ちゃんと、そのパパとママのためのコンサートとして「ウェルカムベビーコンサート」を港北公会堂(大豆戸町)で初開催するなど、その前進を止めることがない鈴木さん。
日々の活動において、より地域密着も図りたいという想いから、鈴木智香子さんとともに、この(2018年)7月からは「大倉山みえる新聞」を創刊、副編集長にも就任しました。
「地元・港北区周辺の皆さんと、もっとつながり、妊婦の皆さん、パパ、そして生まれてくる赤ちゃんから楽しんでもらえる企画を、これからも行っていきたいと考えています。ぜひ、地元・大倉山や、港北区周辺の皆さんと、もっともっと音楽で“響き合いたい”と考えています。出張での演奏も可能です。お気軽に、お声をおかけください」と、より多くのコンサートへの参加、そして企画への声援を呼び掛けています。
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・赤ちゃん誕生を「無料招待」コンサートで歓迎、7/16(祝)に公会堂で(2018年6月27日)※鈴木美美子さんらが初企画・実施
・街づくり仕掛け人・鈴木智香子さんが描く地域の未来、大倉山で独自メディアも(2018年7月18日)※「大倉山みえる新聞」(2018年7月開設)編集長・鈴木智香子さんの記事
・音楽家と保育士が「クリスマス」彩る、“0歳”からの親子コンサートを4会場で(2018年11月22日)※リンク追記
【参考リンク】
・ハッピーマザーミュージック(HappyMotherMusic)公式サイト(NPO法人ハッピーマザーミュージック)
・鈴木美美子(音伽舎主宰、ピアノ)~講師プロフィール・音伽舎へようこそ(音伽舎)
・ハッピーマザーミュージック~0歳からのおやこコンサート/響室~Facebookページ
・NPO法人フォーラム・アソシエ(2016年4月より鈴木美子さん=鈴木美美子さんが副理事長)
・大倉山みえる新聞のサイト(同運営委員会)※2018年7月開設、鈴木美美子さんが副代表