より活気ある、うるおいや安らぎあふれる街づくりを――大倉山で、人と人との出会いや、連携を呼び掛け、サポートしながら、自身「コミュニティ・カフェ」を運営している一人の女性が、日々奔走しています。
大倉山に、新しい地域の拠点をと、2010年に「街カフェ 大倉山ミエル」をオープン。大倉山駅西側の商店街・エルム通りの、商店会・街のインフォメーション機能を備えた新しいコミュニティ拠点「大倉山おへそ」の設立にも参画し、大倉山ミエルでは、港北区内で初とも言われる「認知症カフェ」の運営にも挑戦(2016年6月~)するなど、それまで港北区内にはなかった事業に、次々とチャレンジしています。
「ローカル、そして地域。それこそが、これから“人々が目指す”場所。“豊かな居場所”を街に作りだし、失われた“コミュニティ”を取り戻すことこそが、これからの時代に真に求められていると感じます」と力強く語る、大倉山在住の鈴木智香子(ちかこ)さん。
大手建設会社で一級建築士として活躍した経歴を持ち、街カフェや街づくりにかかわるNPO法人の運営を通じての、街の「コミュニティ・デザイナー」として活動する鈴木さんが、なぜ、地域に根差す活動を行うようになったのか。自ら住まうことを決意した街・大倉山や、周辺の街が必要としている「未来像」とは。
建築士として活躍した会社員時代から、今では大流行の兆しも見せている「シェア」の精神を提唱し、現在に至るまで日々その理念を実践しています。
その想いを伝えるための紙による地域新聞「大倉山みんながみえる通信」(2017年2月~11月、1~3号)を創刊、その発展したインターネット版「大倉山みえる新聞」(2018年7月1日~)を立ち上げたパワー・想いの背景について、詳しく話を聞きました。
“家づくり”する父の姿に影響、美術の道志し東京へ
鈴木さんは山口県岩国市生まれ・育ち。両親は長崎県平戸市から山口県へ。一般的には、周囲に親戚がいるのが当たり前だったという岩国の街で、当時、珍しかったという「核家族」で育ったという鈴木さん。
父は大工、母は専業主婦という家庭で育ちますが、「父が働く建築現場、そして作り上げた家をよく見に行っていました。注文住宅で、周囲の家とは異なる、いかにもゆとりのある医師の家を父が手掛けた風景は、今でも心に残っています」と、自らも建築士への道を選ぶきっかけにもなった原風景、ふるさとでの景色が心の奥底にはあると、懐かしい当時を振り返ります。
進学校で知られる山口県立岩国高校から、大学時代は東京都八王子市の多摩美術大学へ鈴木さんは進学します。「両親も、ふるさとを出た経験があったからでしょうか。“大学は外に行きなさい”と、兄もいた東京へ旅立つことを後押ししてくれたんです」と、初めての都会暮らしに挑戦することに。
高校時代に美術部に入部したことも美術大学への進学を決定づけたといい、「油絵を高校時代は描いていましたが、隣接する広島県の中心部、広島市内に1978(昭和53)年に竣工したひろしま美術館の建物が、あまりに素晴らしくて。絵描きとして仕事をしていくのは難しいと感じ、建築の道を選ぶことにしました。父が創り上げた“ものづくり”の現場を見たことも、大きかったのかもしれません」と、建物のみならず、今をもって「街をデザイン」することになるとは当時は予測もしなかった鈴木さんの新しい学生生活が、東京の街でスタートしたのです。
「楽しい」学生時代から、社会人として「シェア」志す建築士に
多摩美術大学建築学科(現在の環境デザイン学科)で過ごした学生時代については、「東京といっても自然あふれる野猿(やえん)街道に近い大学の風景は、東京都の都会的な中心部とはかけ離れていました」。
サークルは「絵本創作研究会」に在籍、活動していたことも。またブレイク前だったという俳優の竹中直人さんも「映像演出研究会」で身近に見掛けていたといい、「学生時代は“楽しいだけ”でした」と想い出を語る鈴木さん。
社会に出よう、という時選んだ道は、かねてから志してきた「建築」の資格を取れる大手建設会社での仕事。「当時は、バブル景気に至る好景気から、ローコストで集合住宅やマンションがたくさん作られた時代でした」と、建築業界が活況を呈する時代背景の中、念願かない、就職後2年で一級建築士の資格も取得できたといいます。
この時期に知り合った鈴木健夫(たけお)さんらと共同で出展した作品「川崎MATRIX(マトリックス)」が、雑誌「新建築」(株式会社新建築社・東京都千代田区)により1987(昭和62)年開催された住宅設計競技(国際コンペ)「日本の住宅・いま」で1位入賞を果たします。
プライベートで、川崎市川崎区に仲間たちと作ったその“シェアハウス”に採り入れた“現代風の茶室”などの建築物に込めた想いは、「フリースペースとして広く一般に開放して行こう」というコンセプトに反映させたとのこと。
「まさに、今、“シェア”の理念が広がっていますが、この頃から、“人と人がつながるネットワーク、共有スペースとしての居場所”に、焦点を当てた活動を志していたのかもしれません」と、この頃結婚した健夫さんとともに、新しい「コミュニティ・スペースの在り方」を、まさに“デザイン”していたと、鈴木さんは、建築家としての原点ともなる当時の活躍を懐かしく振り返ります。
北海道・札幌での「公園あそびの会」が地域活動のきっかけに
出身校である多摩美術大学が、東急線沿線の世田谷区上野毛にもキャンパスを置いていたことから「東急線沿いの生活環境が、素晴らしいと感じていたので」と、結婚後は日吉に2年間在住。夫の福岡への転勤に同行するため退職、二児の出産を経て、川崎市幸区へ。
その後、長く憧れてきた「大倉山」の地に暮らすことになった鈴木さんは、家を建て、3年もたたないうちに北海道札幌市へ。夫の転勤にまたも同行し、北の大地で暮らすことになるのです。
この札幌の街で出会った「市民参加」事業の募集こそが、鈴木さんと地域をつなぐきっかけとなり、「公園あそびの会」を立ち上げることに。
札幌・藻岩山(もいわやま)にも近い旭山記念公園での「旭山公園キッズ」と命名されたその活動では、自然体験、ゲーム、キャンプ、かまくら造りといった季節のイベントや、ワークショップなども企画開催。
「子どもと親が自主的に、遊びを通じて公園づくりや運営に参加していくことを目指していました」と鈴木さんは、北海道の大自然の中、遊び心いっぱいに大地を駆け回った当時の活動こそが、現在の「街づくり事業」を行うきっかけになったと語ります。
公園遊びや街カフェ運営で伝える「人とのつながり」「シェアの心」
大倉山に戻った鈴木さんは、フォーラム・アソシエ(新横浜2、現NPO法人フォーラム・アソシエ)が企画する「公園子育てサポーター養成講座」を受講し、新横浜(新横浜第一公園:新横浜1)での公園遊びを支援するボランティア団体「公園遊びの会 おるたん」を2006年9月に立ち上げます。
また、「おるたん」の活動で港北区の助成を受けたり、港北区内や川崎市高津区、幸区で“出張公園遊び”を行ったりするなど事業を拡張。
2010年6月からは「I.S.B公共未来塾」(公益財団法人起業家支援財団)の第1期生として、社会的起業について学ぶ場での「地元・大倉山の蜂蜜(はちみつ)」を売るアンテナショップとしての提案をもとに、コミュニティ・カフェ「街カフェ 大倉山ミエル」(「ミエル」はフランス語で蜂蜜を意味)を同年11月に開店するに至ります(大倉山2、大豆戸町から、現在大倉山7に移転)。
2010年度より、所属団体や組織の壁を越えて地域住民の交流を深めることを目的に設立された「大倉山夢まちづくり実行委員会」(植木貞雄会長)にも参画するほか、2014年1月にエルム通りにオープンした「大倉山おへそ」(大倉山2)の立ち上げにもかかわります。
さらに、2016年4月に新横浜2丁目のオルタナティブ生活館内で“家庭的な食事の場”をシェアできる「おるた家族食堂」のプロデュースに、就任したばかりのフォーラム・アソシエの理事として参加。
2017年1月からは、地域食堂「大倉山みんなの食堂」(大豆戸町)の運営の支援を行うなど、まさに「地域での居場所づくり」に鈴木さんは奔走しています。
大倉山周辺に行き交う「人と人とのつながり」を、まさに“デザイン”しながら、会社員時代から志してきた「シェアの心」を実践。大倉山の街に、それまでのスキルや経験を落とし込み、またリアルに体現化を試みてきたのです。
大倉山が“みえる”メディア創刊でさらなる「つながり」を
これまでの活動をつなぎ、また広く人々に伝えたいと、鈴木さんは、地域に呼び掛けた仲間たちと2017年2月から紙媒体の「大倉山みんながみえる通信」を創刊(1~3号、2017年11月まで)。
今月(2018年7)月1日からは、紙の通信を土台とした持続可能なメディアとして、インターネット版「大倉山みえる新聞」を、新たにスタートするなど、ITメディアでの情報発信にも新たに取り組んでいます。
日々、止むことがない街づくりへの情熱、そして想いを力強く支援してくれているのは、やはり一級建築士で、同じ会社、そして家庭でも、ともに「街づくりへの理念」を共感しあってきた、夫・健夫さんの存在があってこそと、これまでの歩みを、鈴木さんは笑顔で振り返ります。
「自らが“核家族”で育ったことも、大きかったのかもしれません。誰しもが立ち寄れる場所、まさに“地域の居場所づくり”を、日々、行ってきたんです。それは、世代を越え、年齢や性別、考え方の違いや、価値観を越えて、“人と人とがつながる”ことでの幸せを感じてもらい、またより潤(うるお)いある街づくりや、これからの街の在り方にも、必ずプラスになると信じているんです」と、人と人との出会いや連携により、人や地域がより豊かになるという未来像を描いているとのこと。
これからも、自身の活動や、「大倉山みえる新聞」などの情報発信を通じ、一級建築士としての“街をデザインする”スキルを活かしながら、「より多くの人、世代の方々に、地域での活動に参加いただける場を提供していけたら」と意気込む鈴木さん。
その姿は、大倉山や新横浜近郊のみならず、地域に住まい、出会う一人ひとりの心に、鈴木さんらしい「何か」を、きっと刻み残してくれるはずです。
【参考リンク】
・街カフェ 大倉山ミエルのサイト(NPO法人 街カフェ大倉山ミエル)
・大倉山みえる新聞のサイト(2018年7月1日創刊)※運営委員会代表として創刊
・「公園あそびの会 おるたん」のサイト(現在、世話人として活動)
・NPO法人フォーラム・アソシエ(2016年4月より鈴木智香子さんが副理事長)
・大倉山おへそのサイト(運営スタッフとして立ち上げに参画)