日本のラーメン文化を伝え続けてきた“博物館”らしい新たな店が「新横浜ラーメン博物館」に出店します。同館は、来月(2020年)10月14日(水)に明治期に創業した「淺草 來々軒」(あさくさ・らいらいけん=「浅草 来々軒」の旧字体表記)を復活させる形で新たにオープンすることを発表しました。
淺草來々軒は、1910(明治43)年に浅草でオープンした中華料理店で、日本で始めてラーメンブームを起こしたとされる伝説の店。ラーメン博物館内には「日本最初のラーメン店」「支那(しな)そばだけでなく、シウマイも評判」といった内容の解説も展示しています。
同館では1994(平成6)年の開館以前から、淺草來々軒がラーメン史を語る上で欠かせない店であるとの認識から、同店三代目の尾崎一郎さん(故人)にインタビューを行うなど、現在まで調査研究を続けており、その過程で当時の味を再現して広く提供したいとの考えに至ったといいます。
味の再現にあたり、創業者の孫にあたる現在87歳の髙橋邦夫さんに相談したところ、「この功績を一族のみならず、後世に残したい」として再現の快諾を得るとともに、玄孫(げんそん=やしゃご、孫の孫)にあたる32歳の高橋雄作さんも「祖父が高齢ですので元気なうちに來々軒を復活させたいという想いが一番にあります」として協力。
実際に当時のラーメンを提供するうえでは、「同じ醤油ラーメンで王道を極められているお店」(玄孫の高橋雄作さん)として、ラーメン博物館に昨年(2019年)12月まで出店していた「支那そばや」による再現と運営を熱望し、同店側も「もし佐野(2014年に63歳で死去した支那そばや創業者・佐野実氏)が生きていたら“このプロジェクトに命を懸けて受けていた”だろうと思う」(同店を引き継いだ佐野しおりさん)として、スタッフらによる専門のチームを新たに結成。
ラーメン博物館と來々軒の末裔(まつえい)、支那そばやの三者によるプロジェクトを立ち上げ、店舗づくりを行ってきたといいます。
同プロジェクトでは、当時使っていた国産小麦の後継品種を見つけ出し、昭和5~6年頃まで採用していたとみられる中国式の青竹打ちと、以降の機械製麺という2つの方法で麺を作るとともに、焼豚とメンマの製法も証言をもとに再現。
スープは、昭和初期頃から煮干しが加えられたとの証言をもとに、国産の豚ガラ、野菜類とともに国産の丸大豆醤油を使って作り上げています。さらに110年前の丼(どんぶり)も有田焼の窯元に依頼して復刻したとのことです。
10月14日に復活開業が決まった「淺草 來々軒」では、当時の表記をそのままとした「らうめん」(930円)に加え、創業初期の青竹打ちの麺で提供する「らうめん」(1100円)も100食限定で提供。
また、人気だった「ワンタンメン」(1130円)や、当時「シウマイと言えば、横浜の博雅、浅草の來々軒」と言われたほどに知名度が高かったという「シウマイ」(1個150円)も再現してメニューに加えています。
今回の復活は、ラーメン文化の伝統を残すだけでなく、現在は首都圏発祥店が出店していない状態にあるラーメン博物館だけに、東京ラーメンの原点が味わえる店舗として観光客からも注目を集めそうです。
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・<ラーメン博物館>厳選素材で人気の「支那そばや」が12月で卒業へ(2019年10月1日、「支那そばや」が淺草 來々軒の復活と運営の実務を担う)
【参考リンク】
・新横浜ラーメン博物館「淺草 來々軒」の案内ページ(10月14日オープン)
・日本のラーメンブームはこのお店から始まった。「淺草 來々軒」 110年の歳月を経て蘇る(新横浜ラーメン博物館)