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1968(昭和37)年の新横浜(横浜市都市計画局が1999年に発行した「新横浜都心整備基本構想」のパンフレットより)

1968(昭和37)年の新横浜(横浜市都市計画局が1999年に発行した「新横浜都心整備基本構想」のパンフレットより[PDFはこちら])

新横浜の歴史は東海道新幹線の駅とともに歩みを進めてきたといえます。

日吉や綱島、大倉山は東急東横線の開通で街が形作られましたが、新横浜は横浜・川崎両市内では唯一の新幹線駅として、急速な発展を遂げてきた特徴を持ちます。

篠原町の農村地帯に新幹線の駅が生まれたのは、今から半世紀ちょっと前の1964(昭和39)年10月。「のどかに白鷺が舞い、蛍が飛びかっていた水田は埋め立てられて、広大な駅舎が建ち、バスターミナルができ、飲食店やホテルなど数多くの建物がたち並んだ」(港北区史、1986年)といいます。

東海道新幹線の開通と同時にJR横浜線側にも駅が作られ、1985(昭和60)年3月には市営地下鉄ブルーラインが開業

さらに2023年3月までには「相鉄・東急直通線(東急新横浜線・相鉄新横浜線)」の新横浜駅(仮称)が設けられる予定で、横浜市内や神奈川県内だけでなく、東急線を経由して東京都心各所へ直通できるようになります。相鉄新横浜線側の次駅は「羽沢横浜国大駅」となるため、横浜国立大学が大幅に近づきます。

また、東海道新幹線を使えば名古屋へは「のぞみ」でわずか1駅、大阪まで3駅という日本の三大都市へも容易にアクセス可能な環境も見逃せません。新横浜駅前には横浜環状2号線が通っており、鉄道だけでなく、道路網も充実しているといえるでしょう。

1990年代までの新横浜の年表 (横浜市都市計画局が1999年に発行した「新横浜都心整備基本構想」のパンフレットより)

1990年代までの新横浜の年表
(横浜市都市計画局が1999年に発行した「新横浜都心整備基本構想」のパンフレットより)

そんな“超便利”な新横浜だけに、居住地としても人気があり、1990年代の半ばから人口が急増

2016年6月現在、新横浜1~3丁目だけで人口は1万人超。隣接する駅周辺の大豆戸(まめど)町(港北警察署などが位置)や篠原町(新幹線口の裏側)を含めるとさらに増えるとみられます。

特に新横浜駅から徒歩圏内である環状2号線沿いの大豆戸町内では、マンションの建設が相次いでいるほか、同じく徒歩圏内の篠原町でも一戸建て住宅の分譲が目立ちます。

企業に関しては、上場企業だけでも株式会社キタムラ(カメラ店の全国チェーン)やココカラファイン(薬のセイジョーなどのドラッグストア展開)、マクニカ・富士エレホールディングス株式会社(エレクトロニクス専門商社)、株式会社サンオータス(ガソリンスタンドやレンタカー、カーディーラー店を展開)、株式会社ピーシーデポコーポレーション(パソコンなどの販売店「PC DEPOT」を首都圏を中心に展開)といった企業が本社を置いています。(新横浜など港北区内に本社を置く企業の詳細はこちら

交通至便な居住地でオフィス街でもある新横浜。わずか半世紀のうちに生まれた横浜の第二都心は、これからどんな発展を遂げるのでしょうか。港北区民には関心が増すばかりです。

(※)相鉄・東急直通線の開業時期などを修正しました(2019年1月17日)