これまでになかった“横浜の軍隊”に焦点を当て、120年にわたる歴史を振り返っています。
みなとみらい線・日本大通り駅直結の「横浜都市発展記念館」で今月(2026年)1月24日から特別展「戦争の記憶~横浜と軍隊の120年」(4月12日まで開催中)が始まり、1853(嘉永6)年の黒船来航から1975(昭和50)年のベトナム戦争終結まで、港北区域も含めた横浜の各地域と軍隊との関わりを丁寧に掘り起こしました。
古くは“黒船”に開港を迫られ、今も米軍基地が残るなど軍隊とは縁の深そうな横浜市ですが、意外にも「これまでの歴史で市内に軍の常駐部隊がなく、あまり関心が向けられてこなかった」(横浜都市発展記念館の主任調査研究員・吉田律人さん)。
横浜から近い東京と横須賀に「日本有数の巨大な軍事拠点が二つあり、鉄道の開通で何かあれば東京の軍隊を横浜へも展開できるようになった」(同)ことが常駐しなかった背景にあるといいます。
ところが1923(大正12)年9月に発生した関東大震災では「首都圏で軍も警察も機能不全となり、横浜には軍事施設がなかったので3日間ほど放置されてしまい、これを機に軍隊の誘致運動が起きることになりました」(同)。
それでも横浜に常駐が叶わなかった軍隊ですが、その後の太平洋戦争では日吉台地下壕など半強制的な形での軍事施設の建設が拡大。さらに、敗戦後は在日米軍野戦病院となった現在の岸根公園など、市内全域が米軍に大規模接収されることになります。
横今回の特別展では、「横浜の軍事施設Ⅰ(海軍編)(1階)」「横浜と軍隊の120年(3階)」「横浜の軍事施設Ⅱ(陸軍編)(4階常設展内)」と館内に3つの会場を展開。
横浜の軍事施設については、横浜都市発展記念館を運営する横浜市ふるさと歴史財団のなかでも「埋蔵文化財センター」が発掘調査で得られた成果も含んでいるのが特徴です。
「縄文時代の遺跡と思って掘り始めたら、戦時中の陸軍の陣地が見つかった」(埋蔵文化財センターの考古資料課長・古屋紀之さん)と、戸塚区の「舞岡熊之堂(まいおかくまのどう)遺跡」から太平洋戦争時の照空隊(しょうくうたい=敵機を撃ち落とすため夜間に照明を当てて支援する部隊)陣地跡が見つかったことを機に市内の陸軍施設を詳しく調査。
「横浜市内の施設は、ほとんどが飛んできた敵の爆撃機を高射砲で撃ち落とすための防空陣地(高射砲・照空隊)だった」(同)と、港北区の菊名や篠原、高田周辺など12カ所にあった防空陣地のうち、9カ所は実際に航空写真から痕跡を見つけ出しました。
また、小机では地元の協力で「小机照空隊陣地」があった時代を知る90歳台の地元住民からヒアリングにもこぎつけ、小机城だけではない“近代の歴史発掘”にも成功しています。
今回の特別展は4月12日(日)まで、毎週月曜日(祝日の場合は翌平日)の休館日を除く毎日9時30分から17時まで公開、入場料は一般800円、小中学生・市内在住65歳以上400円。毎週土曜日は小中学生・高校生・大学生は無料となっています。
なお、2月21日(土)に「巨大軍都・東京と横浜」、3月21日(土)は「軍港都市・横須賀と横浜」のテーマで関連講座(参加費各回1000円・要申込)が企画されているほか、2月8日(日)、3月15日(日)・20日(金・祝)、 4月5日(日)・12日(日)の13時30分から各回45分程度にわたって展示解説(事前申込不要)も行われます。
(※)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です
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【参考リンク】
・横浜都市発展記念館「戦争の記憶 横浜と軍隊の120年」(2026年1月26日~4月12日開催、日本大通り駅直結)







