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横浜市道路局の橋梁課が2019年2月に発行した小冊子「はしのはなし~引越した親柱、留まった親柱」(第4号)の最初のページに「鳥山大橋」が紹介されている(PDF版はこちら

今は無き「菊名橋」と、新横浜駅前のセントラルアベニュー(宮内新横浜線)にかかる「鳥山大橋」“親柱(おやばしら)”に関する歴史が市の小冊子で紹介されました。

このほど横浜市道路局の橋梁課が公開した「はしのはなし~引越した親柱、留まった親柱」(第4号)では、橋の四隅にある親柱について特集し、橋が無くなった後も別の場所に残り続ける親柱の行方を追い掛けている内容で、港北区からは2カ所が紹介されています。

妙蓮寺駅の近く、菊名駅寄りにある横浜市営バスの「菊名橋」停留所は“橋”と言いながら、多くの車が行き交う水道道には橋らしきものが見えません

同小冊子によると、農業用水を確保するために造られた菊名池は、かつて現在の菊名池公園と菊名池公園プールを合わせた約2万8000平方メートル超の大きさを誇っており、その真ん中を抜ける水道道に「菊名橋」が架けられたのは昭和10(1935)年ごろだといいます。

菊名池公園内に残る「菊名橋」の親柱と橋名板(左上)

ただ、高度経済成長期には生活排水などによって、池の水が汚染されつつあったことから、昭和49(1974)年に池の大半は埋め立てられ、水道道をはさんで妙蓮寺駅に近い側にはプールを整備し、菊名駅側は池を縮小する形で公園を新設し、橋自体は無くなってしまいました

そんな橋の記憶をとどめるのが“親柱”で、公園内の水道道に近い場所にひっそりと現在も残されており、くずし字気味の「菊名橋」と書かれた橋名板を見ることもできます。橋が消えてから40年以上が経過しましたが、ここに橋があった歴史を刻んでいます。

一方、新横浜駅に近い鳥山大橋は、オフィス街にも近く、横浜労災病院や日産スタジアムなどへのアクセス時にもよく使われ、橋の上には横浜市営バスと東急バスのバス停「鳥山大橋」も置かれています。

新横浜駅側から見た鳥山大橋、奥の建物は横浜労災病院の宿舎など

鳥山橋は全長35.8メートルで、300メートル以上の長さを持つ「新横浜大橋」と連続するように設けられているため、あまり目立たない存在ですが、石造りの立派な親柱が橋の四隅に設けられ、「鳥山大橋」「昭和56年3月竣工」などと刻まれた黒い石の橋名板も付けられています。

同小冊子によると、この親柱は、かつて中区伊勢佐木町を流れ、首都高速横羽線の開通によって廃川となった「派大岡川」に架かっていた「四代目吉田橋」(昭和33=1958年竣工)から、袖高欄(そでこうらん)と呼ばれる橋の入口両脇にある柵(さく)部分移設したものだといいます。

鶴見川側から見た「鳥山大橋」、セントラルアベニューの両側にオフィスビルが立ち並ぶ

明治初期に英国の鉄材を使った日本で2番目の鉄製橋梁として、横浜の歴史が語られる際には度々登場する吉田橋の歴史は、意外にも遠く離れた鳥山大橋でも受け継がれていたわけです。

横浜市内において親柱が移動した10事例が紹介されている小冊子「はしのはなし」は、道路局のサイト内でも公開されていますので、一読してみてはいかがでしょうか。

【参考リンク】

横浜市道路局橋梁課のサイト(過去の小冊子「はしのはなし」もPDFで公開)

妙蓮寺駅付近の「昭和38年 三千分一地形図」(横浜市建築局、地図の左下に埋め立て前の菊名池と「菊名橋」が見える)※2019年3月の横浜市サイトのリニューアルを機に移行作業中です(2019年5月現在)

伊勢佐木町付近の「昭和39年 三千分一地形図」(横浜市建築局、地図の左下に「吉田橋」が見える)※2019年3月の横浜市サイトのリニューアルを機に移行作業中です(2019年5月現在)

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