【東横線100周年フォーラムレポート(2)】先月(2025年)8月19日に慶應義塾大学日吉キャンパス内協生館で行われた「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」(一般社団法人地域インターネット新聞社主催)について、今回は東横線の歴史と概要を解説した東急株式会社・竹内敏浩さんの講演を紹介します。
始まりは目黒蒲田電鉄と武蔵電気鉄道
司会(広瀬未来)
来年(2026年)2月、いよいよ東急東横線が100周年を迎えます。東横線沿線全体の歴史や概要について、東急株式会社広報担当の竹内敏弘さんに解説をいただきます。竹内さんは社長室広報グループに所属され、2023年には東急グループ創立100周年を記念して刊行した「東急100年史」のプロジェクトも担当されました。

現在はライフワークとして、お住まいの横浜や都内エリアを中心に、鉄道愛好家を幼少期から育む地域活動も行っていらっしゃいます。
今回は、竹内さんの頭の中にたくさん詰まっている私たちの知らない東横線の歴史、クイズなども交えながら、楽しくお話ししてくださるそうです。それでは、竹内さん、よろしくお願いします。
東急株式会社 社長室広報グループ・竹内敏浩さん(「東急100年史」担当)
東急株式会社広報の竹内でございます。短い時間ですが、東急東横線の“100年のあゆみ”を皆様にご紹介できればと思います。
当初、このフォーラムは中学生や小学生が多いというような話を伺っており、スライドのも小さいお子さん向けに作っております。今日はどうも40年くらい前にご卒業なさった方が多いような気もいたしますので、若干スライドと内容を変えてお伝えさせていただきます。
私のプロフィールでございますが、大学で交通地理と交通史を専攻し、1989(平成元)年に東京急行電鉄(現東急または東急電鉄)へ入社し、その後、カルチャースクールや広報などさまざまな業務を担当してきました。ここ10年ほどは東急グループの100年をまとめた「東急100年史」の編さんをメインとしております。
今、ご紹介いただきましたが、鉄道の好きな子どものためにボランティアで「鉄道子ども会」という活動をプライベートでやっております。昨日も「ロマンスカー」を貸切運転していただいたり、そんなことを行う、鉄道が大好きな人間です。
早速ですがクイズです。東横線が1926(大正15)年に部分開業したとき、次のどの会社が作ったのか、という問題です。
- 東京急行電鉄
- 目黒蒲田電鉄
- 東京横浜電鉄
- 武蔵電気鉄道
こちら知らない鉄道会社の名前が多数出ていると思いますが、さあ、どれでしょうか。
(会場に問いかけ、挙手を求める)結構、皆さん当たっております。
東横線の計画自体をスタートしたのは(4)の「武蔵電気鉄道」という会社でした。
武蔵電気鉄道は1910(明治43)年に「渋谷~横浜」、当時の横浜はもう少し桜木町あたりのことを指していますが、そんな計画を持っていました。
この時、東急グループの事実上の創業者と言われる五島慶太(ごとうけいた、1882年~1959年)が入社するのですが、資金難で上手くいかなかったんですね。
その後、1924(大正13)年に「目黒蒲田電鉄」、今は目黒線(目黒~日吉)と多摩川線(多摩川~蒲田)に分かれていますが、昔(2000年まで)は「目蒲線」(目黒~田園調布駅~多摩川~蒲田)と呼ばれており、この目蒲線が東急としてのスタートとなっています。
目黒蒲田鉄道が実質的に武蔵電気鉄道を傘下におさめ、路線の建設に入りました。この際に武蔵電気鉄道は社名を「東京横浜電鉄」に変更し、1926(大正15)年に丸子多摩川(現在の多摩川)から神奈川(現在の横浜駅の東京寄り青木橋付近)まで開業しています。ということで、クイズの正解は(3)の東京横浜電鉄です。
東横線が開業したとき、非常に経営に苦労したという記録が残っています。
たとえば、京急(京浜急行)さんや京王(京王電鉄)さんのように、街道沿いなどすでに集落があるところを結んでいる鉄道会社が多く見られます。
ところが目蒲線や東横線は、大都市周辺も都市間で人があまり住んでおらず、田畑が多いところに鉄道を敷いて、その周辺の土地を開発していくというのが東急が始めたビジネスモデルでした。
一番最初は(大阪・宝塚・神戸・京都を走る)阪急電鉄の創業者・小林一三(いちぞう)さんが考え付いたところがあるのですが、そのアイデアももらってつくりました。
ところが東横線は開通したのですが、最初は畑しかないわけです。お客さんが非常に少なく、これに窮して「がら空き電車にぜひ乗ってください」なんていう広告も出した、そんな過去の歴史があります。
東急は鉄道を引いて住宅を開発し、それを売ったお金でまた鉄道に投資するという循環型の活動をしてきています。
その後(英国で提唱され、日本では田園調布などで実践された)田園都市構想に基づいて開発を行ってきました。この付近ですと、綱島や菊名、日吉は慶應義塾大学の反対側は東急が開発した地域です。
学校の誘致も東急が得意なところで、この慶應大学もかなりの敷地を東急が寄付をしており、東京工業大学(大岡山、現「東京科学大学」)は(当時は浅草区蔵前にあって関東大震災で大きな被害を受けた旧校舎と)土地交換の形です。
多くの大学が東横線の沿線にあるのは、東急が戦略的に誘致してきた結果で、東横線がなんとなく知的な感じがするというのは、このあたりが関連しています。
第二次世界大戦時の話に移りますと、東横線も軍需輸送に使われました。昔は武蔵小杉駅の位置には駅がなかったのですが、戦争にあわせて急きょつくっています。
戦争では空襲で大きな痛手を受けました。復旧をするにあたっては人口が増えていましたので、輸送力増強のため、連結する車両を増やしたり、新型車両を導入したりとさまざまな施策を行っています。
車両では「7000系(初代)」(1962年~2000年)というステンレスの電車や、「8000系」(1969年~2008年)という20メートルの大型の車両を導入し、輸送力を強化してきました。
最終的には目黒線を日吉まで延伸し、東横線(田園調布~日吉間)を“複々線化”して今の形になっています。
最後はクイズです。東横線といえばステンレスカーが有名ですが、日本で初めてのオールステンレスカーはどれですか、という問題です。
- 旧5000系
- 旧7000系
- 旧8500系
- 5050系
これは簡単だったかもしれません。(2)の旧7000系というのが日本で初めて躯体からステンレスでつくられた車両でした。東急の車両は日本のさまざまな地方鉄道に譲渡されていますが、ステンレスでさびないのでずっと使え、サスティナブル(持続可能)です。
もう一つ最後に、新横浜線(2023年3月)の開業についてです。ネットワークが広がり、神奈川県央地区の相鉄線沿線の方も東急線沿線に簡単に来られるようになりました。
東横線は都市の歴史と人々の暮らしの軸ということで、次の百年も沿線の皆さまと歩んでいきたいと考えております。ご清聴ありがとうございました。
司会(広瀬未来)
竹内さん、どうもありがとうございました。クイズが「全問分かったよ」という方いらっしゃいますか? いました、ありがとうございます。何もないところに線路ができ、この100年で街が広がっていきました。感慨深いですね。ここからは各駅の話を聞いていきたいと思います。
※「<東横線100周年レポ(3)>東急発祥の地に選ばれた「日吉」が持つ歴史的な価値」へつづく
(※)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です
【関連記事】
・<東横線100周年フォーラムレポ1>沿線の歴史・未来を「地域ぐるみ」で分かち合う(2025年8月26日、レポートの第1回)
・【東横線100周年フォーラム】沿線100年を“未来”に伝える、菊名近郊ゆかりの竹内敏浩さん(東急株式会社)(2025年8月13日)
・<港北舞台の文芸作品5>農村から学園都市へ、文化人と戦火の日吉台【戦前編】(2025年2月21日、慶應大学の開校初期や日吉の住宅分譲についても)
・「東横線100周年フォーラムレポート」の記事一覧(全8回)(全レポート)
【参考リンク】
・「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」特設サイト(当日の動画も公開予定)
・東急100年史(WEB版)および関連社史・事業史(東急株式会社、詳細な歴史を知ることができる)









