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今から166年前の開港とともに生まれた“横浜道(みち)”の奥深さを味わえます。

港北ボランティアガイドの会は、今月(2025年)11月29日(土)午前にウォーキングツアー「開港の曙『横浜道』を歩く」を企画し、参加者60人を11月10日(月)まで募集中です。

2025年11月29日(土)午前に開かれる企画ツアー「開港の曙『横浜道』を歩く」の案内チラシ、応募締切は11月10日(月)17時(主催者提供)

横浜道は、東海道・神奈川宿と横浜港を結ぶため、開港に際して急きょ設けられた道で、現在の浅間下(せんげんした)交差点(西区浅間町1)の旧東海道付近から市立中央図書館に近い野毛坂(中区野毛町)などを通り、関内駅近くの吉田橋付近まで通じていたといわれます。

今回の集合場所は東急東横線の反町駅、ホームは地下深くに位置するが、地上には駅舎がある(イメージ、2025年8月)

今回のウォーキングツアーは、東横線の反町駅朝9時30分に集合し、ゴール地点・吉田橋まで、幕末の開港当時に思いを馳せながら約7キロを歩く健脚向きのコースが組まれました。

開港後はアメリカ領事館として使われた神奈川区高島台の「本覚寺」(主催者提供)

当日は反町駅を出発し、まずは鎌倉時代からの古刹で横浜開港後にアメリカ領事館となった「本覚寺」(神奈川区高島台)を訪問。ここから安藤広重の「東海道五十三次・神奈川」にも描かれた神奈川区台町の料亭「田中家」がある旧東海道を歩き、神奈川台関門跡などを見て、一気に浅間下まで行くと、いよいよ横浜道に入ります。

安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた神奈川区台町の料亭・田中家(主催者提供)

開港の歴史が詰まった横浜道を2キロにわたってひたすら歩き、高島町を過ぎてしばらくして現れるのが「岩亀(がんき)横丁」(西区戸部町4・5丁目)です。

開港とともにできた歓楽街の遊女が病に倒れたときに療養する施設がこの場所にあり、そこから女性の病気が治ると伝えられています。脇にあったのが今も残る「岩亀稲荷」で、門前の灯篭は遊女の立ち姿を模したものです。

灯篭が遊女の姿を模したとされる西区戸部町の「岩亀(がんき)稲荷」(主催者提供)

少し坂を上ると着く「掃部山(かもんやま)公園」(西区紅葉ケ丘)は、横浜開港に大きく貢献した井伊直弼(なおすけ、掃部守=かもんのかみ)の銅像が見どころ。この場所は明治の旧彦根藩士有志が買い取って井伊家の所有となりましたが、大正になると、横浜市に寄贈され公園として整備された歴史を持ちます。

西区紅葉ケ丘の掃部山(かもんやま)公園にある井伊掃部守(かもんのかみ=井伊直弼)の銅像(主催者提供)

掃部山公園の近くにあるのが「伊勢山皇大(こうたい)神宮」です。横浜開港後、横浜の精神的支柱として神社信仰の確立が必要と考えられ、当時戸部村にあった大神宮をこの地に移したものです。神奈川県知事が「当社を伊勢神宮の遙拝所とし、県内の総社足る規模に整備する」との建白書を国に提出。国費で創建され、横浜の総鎮守とされています。

伊勢神宮の遥拝(ようはい)所であり、横浜の総鎮守として誕生した「伊勢山皇大(こうたい)神宮」(主催者提供)

さらに「野毛の切通し」や横浜市認定歴史的建造物の「旧平沼邸擁壁(ようへき)」、「近代水道遺跡(日本近代水道最古の水道管)」といった見どころを経由し、1.2キロほど歩くとゴール地点の吉田橋に到着。

この橋に関門を設け、外国人居留地と外部を隔てる役を担ったことで知られ、“関内”“関外”と呼ばれることになった由来の場所です。ここには「派大岡川」という川が流れていましたが、今は橋の下に「高速神奈川1号横羽線」が通っています。ここでツアーは終了、JR関内駅は目の前です。

今回のツアーは反町駅をスタートし、JR関内駅近くの吉田橋まで約7キロを歩く(イメージ、2024年)

港北ボランティアガイドの会では「今はただの道路にしか見えない道が、かつての『横浜道』という軸を通してみることで違って見えてくる、そんな体験を楽しめるツアーです。参加をお待ちしています」と呼びかけています。

参加費は500円で、同会のホームページ内にある申込フォームなどから11月10日(月)17時までに事前申し込みが必要。定員は60人で応募者多数の場合は抽選となります。

)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です

【参考リンク】

2025年11月29日(土)開催「開港の曙『横浜道』を歩く」(11月10日締切、港北ボランティアガイドの会)

港北ボランティアガイドの会公式サイト(各種ツアーの案内など)