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地域インターネット新聞社による主催イベント案内】「歴史研究家」として3人目、最後の登壇となる大倉山駅・大倉精神文化研究所(大倉山2)勤務の林宏美さんは、港北区の歴史を深く知る書籍「わがまち港北」シリーズの執筆者。大倉山駅から菊名駅、そして妙蓮寺駅に至る、港北区南部の沿線の歴史に迫ります。

今夏(2025年)8月19日(火)14時から16時まで(13時30分開場、終了時刻とともに予定)、一般社団法人地域インターネット新聞社(新横浜2、橋本志真子代表理事)が主催し開催する公開イベント「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」

今夏(2025年)8月19日(火)開催「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」の前半“歴史トーク”では、大倉山駅・菊名駅・妙蓮寺駅の3駅を林宏美さんが担当する

今夏(2025年)8月19日(火)開催「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」の前半“歴史トーク”では、大倉山駅・菊名駅・妙蓮寺駅の3駅を林宏美さんが担当する

日吉・綱島・大倉山・菊名・妙蓮寺までの港北区内5駅について、地域の研究を行う「歴史家」のみなさんや、地域まちづくり関係者が慶應義塾大学日吉キャンパス協生館内「藤原洋記念ホール」(日吉4、東急東横線・目黒線 横浜地下鉄グリーンライン日吉駅徒歩約1分)に集まり、これまでの歴史を学び振り返りながら、次世代を担う子どもたちに向けての“未来を語るイベント”として実施する予定です。

今回のイベントでも、2022年8月に開催した「相鉄東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」と同様に、イベントの主旨や地域をより深く知る機会として、登壇者のインタビュー記事を掲載しています。

前回の「綱島駅」の掲載に続き、今回は、「大倉山駅」を拠点に、港北区に関する歴史研究を広く行う大倉精神文化研究所林宏美さんに、なぜ歴史研究の道に進んだか、いま、どのように地域の歴史に向き合っているかについてなど、詳しく話を聞きました。

「父親とのクイズ」が歴史好きのきっかけに

港北区の歴史を最も知る「歴史研究家」の一人として知られている林宏美さんは、現在、公益財団法人大倉精神文化研究所(大倉山2)で図書館運営部長(研究員兼任)として勤務しています。

2009(平成21)年7月以降発行されている書籍「わがまち港北」(1~3巻、同出版グループ)の第2巻「わがまち港北2」分からの執筆を、初代執筆者で同研究所で理事長を務める平井誠二さんとともに担当、地域に関する歴史や文化など、幅広いジャンルの研究活動を行ってきました。

大倉山駅から徒歩7分「大倉精神文化研究所」の林宏美さんは2009(平成21)年から勤務を開始。港北区の歴史を伝える「わがまち港北シリーズ」の執筆や講演活動も行う。今回のフォーラムでは「大倉山駅」のほか「菊名駅」と「妙蓮寺駅」の歴史解説も担当する

大倉山駅から徒歩7分「大倉精神文化研究所」の林宏美さんは2009(平成21)年から勤務を開始。港北区の歴史を伝える「わがまち港北シリーズ」の執筆や講演活動も行う。今回のフォーラムでは「大倉山駅」のほか「菊名駅」と「妙蓮寺駅」の歴史解説も担当する

林さんは神奈川県小田原市生まれ・育ち。小学校に入学する前の園児だった頃、7歳年上のきょうだいがいたことから、家の中には歴史のマンガや人名辞典など歴史に関する本が家の中に多くあったといい、「歴史好きだった父が、寝る前にクイズを出すというのが日課になっていて、歴史的人物の概略からその人の名前を言い当てる、といったことを楽しみながら行っていました」と、“歴史が大好き”になったという父親の存在、その原点を懐かしそうに振り返ります。

中学生の頃に「歴史の勉強をしたい」と強く感じるようになったという林さん。

大倉精神文化研究所は1932(昭和7)年4月設立。現在の大倉山記念館は、研究所の本館としてこの時竣工した

大倉精神文化研究所は1932(昭和7)年4月設立。現在の大倉山記念館は、研究所の本館としてこの時竣工した

「当時、通っていた塾の授業で、学んでいる出来事以外にも、その前後にもちゃんと“歴史が続いている”ということを教えられたことがありました。実際に学校の授業でも、例えば徳川慶喜を調べてみたら、その後の人生でカメラが大好きだったということを知り、『知られざる歴史』の面白さを知りました」と、“教科書や参考書にはない”歴史が脈々と続いていく、そのスケールの大きさを初めて体感する日々だったと語ります。

「戦争を知る」展示と人との出会いが“原点”

神奈川県立小田原高校(小田原市城山)の進学後も、「受験勉強をしていても、歴史の勉強だけは楽しく行うことができました」と、「日本史を学びたい」という念願を叶え、林さんは中央大学日本史専攻の道に進みます。

小田原高校では剣道部、中央大学時代は剣道サークルに所属していた林さん。特に高校時代は厳しい稽古で知られていたといい、「剣道から得た経験と仲間は今も宝です」と剣道に向き合った日々を振り返る

小田原高校では剣道部、中央大学時代は剣道サークルに所属していた林さん。特に高校時代は厳しい稽古で知られていたといい、「剣道から得た経験と仲間は今も宝です」と剣道に向き合った日々を振り返る(2002年・2005年撮影、林宏美さん提供)

中学生の頃から「好きなことを仕事にしたい」と思うなか、それ以上に大きな原点となっているのが、大学1年時の博物館見学レポートの課題で、東京・千代田区にある靖国神社遊就館(ゆうしゅうかん)を訪れた時の出来事だったと語ります。

「場所の指定がなく、戦争に関する展示館ということで選択したのですが、ちょうど私が館に入ろうとした時に、見学を終えて出てこられた男性に声を掛けられたことがありました」と語る林さん。

靖国神社での出来事から「戦争は過去の出来事ではなく、今も生き続けていることを実感しました」と語る林さん。「実際に展示を見て、資料から伝わる歴史の重さに触れ、胸に迫るものがありました」と、港北区の歴史を伝える「わがまち港北」終戦秘話シリーズの調査研究・執筆を続けるのも、この時の体験が元になっていると語る

靖国神社での出来事から「戦争は過去の出来事ではなく、今も生き続けていることを実感しました」と語る林さん。「実際に展示を見て、資料から伝わる歴史の重さに触れ、胸に迫るものがありました」と、港北区の歴史を伝える「わがまち港北」終戦秘話シリーズの調査研究・執筆を続けるのも、この時の体験が元になっていると語る

その男性は、第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦が迫る1945(昭和20)年に、鹿児島県知覧町(現在の南九州市)にあった「知覧飛行場」から、「特別攻撃」として、爆弾を搭載した飛行機で敵軍の船に体当たりを行うための「特攻隊」として出撃する直前に終戦を迎え、仲間を亡くした方だったといいます。

「あなたのような若い人が来てくれて嬉しい」と、涙ながらに伝えられたといい、「この出来事から、戦争は過去の出来事ではなく、今も生き続けていることを実感し、その後で実際に展示を見て、資料から伝わる歴史の重さに触れ、胸に迫るものがありました」と、“歴史を伝える仕事をしたい”という思いが一層強くなり、今も仕事を続ける原動力になっていると語ります。

港北区を最も知る「歴史家」として3駅を語る

「歴史の仕事がしたい」と、中央大学大学院にも進学し、博士前期課程を修了。「縁あって、同じ大学を卒業した平井誠二さんが現在理事長を務める大倉精神文化研究所に入所するに至りました」と、まずはアルバイトからの勤務からスタート。現在に至るまでの日々を振り返ります。

原稿の締め切りなどがあり、大変さを感じることもあるといいますが、「大好きな歴史を、地域の現場を見ての調査研究も含め学びながら仕事に出来ていることで、日々充実感を得られています」と、再来年(2027年)で開館95周年を迎える同研究所の目的である「東西両洋における精神文化及び地域における歴史・文化に関する科学的研究及び普及活動」に従事できていること、また「国民の知性及び道義の高揚を図ることにより、心豊かな国民生活の実現に資し、もって日本文化の振興及び世界の文化の進展に寄与する」ことが出来ていることを喜びます。

大倉山記念館の3階回廊では「大倉山記念館90周年の歴史」についての展示を行う。林さんは「大倉精神文化研究所創設者の大倉邦彦氏(1882~1971)と同じ誕生日という偶然も

大倉山記念館の3階回廊では「大倉山記念館90周年の歴史」についての展示を行う。林さんは「大倉精神文化研究所創設者の大倉邦彦氏(1882~1971)と同じ誕生日という偶然も(2025年6月)

東急東横線沿線の魅力については、「もともと農村地帯だったところに鉄道が通って変わっていきました。最初は外から発展させていったのが、そこに住む人たちが自分たちの暮らしやすさを考えて町が発展していったと思います」と、鉄道の敷設から時間を経るに従い、そこに生きる一人ひとりが、地域を想い、街を創ってきた経緯があるのではないかとの考えを示します。

日本全体では少子高齢化が進行する中、今現在も人口が引き続き増えている区内の状況については、「多くの人々が、『港北区』や自分の地域が好きということを発信していて、外から見ても憧れのイメージがあります」と、小田原出身者ならではの視点、また「大倉山」の地名のきっかけとなった研究所での勤務を行う立場から、“もっと(街を)よくしよう”という気概がこの地域にあるのではないかという地域の特性を分析します。

林さんが「大好きな角度」だという大倉山記念館の風景。大倉邦彦氏が信念として貫いた「人は人として生まれたことに意味がある」との言葉、「自分は自分のまま」使命感を貫き生きていきたいという想いがあるという。「身近な歴史を知り学ぶことで、地域を大好きになってもらえたら」と語る

林さんが「大好きな角度」だという大倉山記念館の風景。大倉邦彦氏が信念として貫いた「人は人として生まれたことに意味がある」との言葉、「自分は自分のまま」使命感を貫き生きていきたいという想いがあるという。「身近な歴史を知り学ぶことで、地域を大好きになってもらえたら」と語る

大倉山駅(大倉山2)前の大倉山商店街に見られる、歴史文化を感じられるかの「エルム通り」(大倉山2・3)や「レモンロード」(大倉山1)の風情や、高台に住宅街が広がる交通の要衝(ようしょう)・菊名駅(菊名7)周辺、また駅前にある長光山妙蓮寺(菊名2)を中心に落ち着いた街の佇(たたず)まいを形成する妙蓮寺駅(菊名1)付近についても、日々大きな魅力を感じているといいます。

林さんは「歴史研究家」として、今回大倉山駅、菊名駅、そして妙蓮寺駅の3駅の歴史トークを担当することもあり、「様々な地域からやってくる人々にとっても、より暮らしやすい町として発展してきた沿線の歴史についてお伝えすることができれば」と、教科書や文献にはない“歴史”や“地域”の未来につながる軌跡を伝えるべく、フォーラム当日に向けての準備を進めていきたい考えです。

<登壇者略歴~自己紹介>

林宏美(はやし ひろみ):神奈川県小田原市生まれ。中央大学大学院博士前期課程修了。2009年大倉精神文化研究所入職。2014年同研究所研究員、2021年図書館運営部長(研究員兼任)。港北区の歴史・文化に関する原稿執筆や講演を行う。専門は日本近現代史。一児の母。子離れ後、趣味だった鉄道一人旅を再開するのが夢。

)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です

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【告知】「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」を開催します(2025年6月3日)

・【綱島駅・登壇者紹介】【東横線100周年フォーラム~登壇者】綱島駅・ 吉田律人さん(横浜都市発展記念館主任調査研究員)(2025年6月24日)

・【日吉駅・登壇者紹介】【東横線100周年フォーラム~登壇者】日吉駅・ 都倉武之さん(慶應義塾福澤研究センター教授)(2025年6月11日)

『わがまち港北』の連載復活から1年、情報誌「楽・遊・学」をネットで楽しむ(2023年12月30日)※林宏美さんによる「わがまち港北」の連載再開について

「わがまち港北」に関する記事 ※2021年1月から〜2022年7月まで全15回連載の「歴史まち歩き」は林宏美さんが写真撮影を行いながら自らまちを歩き、執筆を行った

【参考リンク】

「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」を主催事業として開催します(一般社団法人地域インターネット新聞社)

「東急東横線100周年フォーラム~沿線5駅の“未来を語る”」特設サイト(一般社団法人地域インターネット新聞社)