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法人サポーター会員によるPR記事です】地元・横浜や港北区から、新たな「知財ビジネス」の応援に取り組む国際特許事務所が誕生。初回無料相談の多くの利用を呼び掛けています。

昨年(2024年)7月開所、横浜市や港北区を拠点に事業を展開する「ブリランテ国際特許事務所」(西区北幸)は、特許実用新案意匠商標の権利化や、ビジネスの知的財産に関する初回無料相談(1時間まで)を実施しています。

「ブリランテ国際特許事務所」所長で弁理士の高(たか)さんは広島県出身、港北区篠原地区在住。元メーカー勤務の経歴を活かし、“ものづくり”や起業に至るビジネスの躍動を応援したいと独立した(妙蓮寺・和食処「花灯」、2025年2月)

「ブリランテ国際特許事務所」所長で弁理士の高(たか)さんは広島県出身、港北区篠原地区在住。元メーカー勤務の経歴を活かし、“ものづくり”や起業に至るビジネスの躍動を応援したいと独立した(妙蓮寺・和食処「花灯」、2025年2月)

新しいビジネスを始めるにあたり、特許や商標を取れないかといった相談や、他社の特許権を侵害していないか、また弁理士に相談したけど、あんまり分かってもらえない、といった様々な相談が寄せられています」と語る、港北区の篠原地区に在住する所長弁理士高義輝(たかよしてる)さん

約25年間勤務したソニー株式会社(東京都港区)から神奈川区鶴屋町の「響国際特許事務所」のパートナー弁理士として勤務するというキャリア形成を経て、昨年の独立開所に至ったという高さんは、広島県の出身ですが、「就職に伴い、首都圏に在住するようになりました」と、以降、結婚してから後には港北区との出会いがあったことも明かします。

各線横浜駅が最寄りのJPR横浜ビル8階にあるオフィスでも初回無料相談に応じている

各線横浜駅が最寄りのJPR横浜ビル8階にあるオフィスでも初回無料相談に応じている

ソニー時代は車載機器の開発設計部門での勤務からスタート、国内外へ赴くシーンも多く、業務経験を重ねる中で「知的財産の大切さに気付かされました」と、自身の人生での一大チャレンジとなる「弁理士」としての起業に最終的に至った経緯を説明します。

「新たにビジネスを興す人、また知財に関してお困り事がある方々を、ここ横浜・港北区から支えていくことができれば」と語る高さんが、なぜ世界トップクラスの技術とスケールを誇る企業での開発部門に身を置くことになったのか、そこから現在の「独立」に至った経緯について、詳しく話を聞きました。

結婚を機に港北区へ移住した高さん。「いろいろな素敵なお店が点在、おしゃれだが敷居が高くない妙蓮寺駅周辺が好きです」と街の印象を語る

結婚を機に港北区へ移住した高さん。「いろいろな素敵なお店が点在、おしゃれだが敷居が高くない妙蓮寺駅周辺が好きです」と街の印象を語る

広島県の小さな島から「全国が舞台」の放送部へ

4人きょうだいの2番目として育ったという高さんは、広島県呉市(旧安芸郡蒲刈町)の出身。

インドアが好きな子どもでした。天体望遠鏡で星の観察を行うことが大好きでした」と、満天の星の下で育ったなつかしいふるさと時代の光景を振り返ります。

弁理士試験に合格した2011年11月、東京都港区の特許庁前で(高義輝さん提供)

弁理士試験に合格した2011年11月、東京都港区の特許庁前で(高義輝さん提供)

青春時代までを過ごしたという小さな離島からは、まだ本州(呉市内)への架橋もない時代。

「市内へは、フェリーで片道約30分かかりました」と、地元の小・中学校時代から、広島県立広(ひろ)高校(広島県呉市)に進学した当時も、まだ島と橋をつなぐ架橋がなかったと、懐かしい当時を思い起こします。

四半世紀(約25年間)勤務したソニー株式会社の退職記念に、東京・御殿山(品川区)のオフィス前で(2016年、同提供)

四半世紀(約25年間)勤務したソニー株式会社の退職記念に、東京・御殿山(品川区)のオフィス前で(2016年、同提供)

人生を変えたと感じているのが、広高校時代に入部した「放送部」時代の体験。

中学校時代はサッカー部で過ごしたという高さんですが、「ラジオで音楽を聴くことが当時好きで、放送部で音楽を流すことが好きだったこと、ラジオなどの番組づくりを行うことが楽しく、最終的には部長としても活動を行うことができました」と、活発だったという部活動に入部した理由、その成果についても説明します。

若かりし頃、当時世界最小だった「CDチェンジャー」の発明を社内で発表(同提供)

若かりし頃、当時世界最小だった「CDチェンジャー」の発明を社内で発表(同提供)

特に、大手ラジオ局主催の「放送コンクール」では、地元のレモンをPRする30秒のCM制作を行ったところ、奨励賞を受賞し、授賞式で東京・中野区の「中野サンプラザ」にやってくることもあったという高さん。

「初めて東京に上京した経験、また他の放送局のコンクールでもラジオ番組制作部門で県大会1位、全国大会4位になったことがあり、視野を広げる良い経験となりました」と、懐かしい放送部時代について、熱くその思いを語ります。

活気に満ちた香港にも出張した(2000年頃、同提供)

活気に満ちた香港にも出張した(2000年頃、同提供)

広島大学工学部で機械を学び「世界トップ」メーカーへ

島を離れ、初めての一人暮らしとなった広島大学では、工学部第1類(機械系)を卒業。

「1年目は広島市内にキャンパスがあったのですが、2年目からはちょうど東広島市に大学が移転したタイミングでの通学となりました」と、バブル景気に乗り「お好み焼き」を“夜な夜な”楽しみながら、フォークソング部でギターを弾いていたという学生時代を懐かしみます。

中国・東莞(とんがん)で行われた協力工場での製品出荷式に出席。「爆竹がバンバン鳴らされるなど、お祭りムード満点でした」と高さんは当時を振り返る(2000年頃、同提供)

中国・東莞(とんがん)で行われた協力工場での製品出荷式に出席。「爆竹がバンバン鳴らされるなど、お祭りムード満点でした」と高さんは当時を振り返る(2000年頃、同提供)

大学卒業後は、高校時代から親しんだ「放送機材」、また大好きだったという「音楽」との接点から志望したソニー株式会社(東京都港区)に入社。

広島県から上京し、車載機器の開発設計部門での多忙な勤務時代を過ごしたといいます。

来賓として招かれ商品を前に記念撮影も(同)

来賓として招かれ商品を前に記念撮影も(同)

「当時は、時に会社に泊まり込むようなこともありましたが、自分自身が設計が好きだということが分かり、“世界初”、そして“世界最小”を目指しての業務を行うことが出来て、充実した日々でした」と、社会人としての“夢が叶(かな)った”当時を振り返ります。

2005(平成17)年には、愛知県で開催された「愛・地球博」(2005年日本国際博覧会=愛知万博)担当チームに合流。

高さんが「発明者」のうちの1人として初めて掲載された公開特許(1994年)。当時は自身が弁理士になるとは思っていなかったという(同提供)

高さんが「発明者」のうちの1人として初めて掲載された公開特許(1994年)。当時は自身が弁理士になるとは思っていなかったという(同提供)

2005型超ワイド高精細「レーザードリームシアター」(縦約10メートル×横約50メートル)に採用された技術の開発にもかかわるといった経験を積むことができたものの、「だんだん景気状況も悪化し、事業の選択と集中により、組織が解散するといった経験もありました」と、自身のキャリアについて自問自答をする日々に至ったといいます。

また、当時の先端技術としてのブルーレイやコンピューター周辺機器といった、新しい商品の開発を行ったものの、「技術のパラダイムシフト(=時代による考え方の変化といった意味)に対応することが大切なのではないか、と感じるようになりました」と、高さんは、インターネットの登場により、世界最小といった概念や「箱」といったものよりも、変遷していく「知財」そのものに、事業の柱があるのではないかとの意識が芽生えることになったと語ります。

出張先のフランスで。2000年前後、中国で作られた基幹部品を使用し、ソニーのアルザス工場で製品が完成するという工程だった(同提供)

出張先のフランスで。2000年前後、中国で作られた基幹部品を使用し、ソニーのアルザス工場で製品が完成するという工程だった(同提供)

家族のアドバイスもあり、仕事を続けながら「弁理士」資格取得への勉強をスタート、2011(平成23)年11月に、3回目のチャレンジで、日本で有数の難関国家試験ともいわれる弁理士試験に合格するに至ります。

あいにく、社内での景況感は振るわず、知財関連部門への異動を希望するも(異動が)難しい情勢であったことからソニーを退職。

フランス・パリの凱旋門前にも立ち寄れる貴重な機会となった(同提供)

フランス・パリの凱旋門前にも立ち寄れる貴重な機会となった(同提供)

2016(平成28)年4月に横浜市内の「響国際特許事務所」で、「弁理士」としての人生を新たにスタート、昨年(2024年)7月に独立するまでの期間、念願叶っての「弁理士」としての経験を積むことになったと説明します。

地元・横浜に貢献で「新事務所」、初回無料出張相談も

100人超が働くという規模の特許事務所では、「自由な雰囲気に満ちており、仕事を任される一方、責任感や自ら働くという“自覚”を持って業務に当たるという環境でした」と、大企業などの仕事も多く任される日々だったといいます。

より安定しての仕事に有り難みを感じる一方、「ある意味、安心して仕事ができることが逆に不安になりました」と、“独立”を志すことを決めたという高さん。

ドイツやイギリス、アメリカの自動車会社を訪問。発明品が欧米の車にも搭載されていることでグローバルな視点を世界を強く感じ意識することもできたという(ドイツ・デュッセルドルフ訪問時、同)

ドイツやイギリス、アメリカの自動車会社を訪問。発明品が欧米の車にも搭載されていることでグローバルな視点を世界を強く感じ意識することもできたという(ドイツ・デュッセルドルフ訪問時、同)

世界における特許制度発祥の地といわれるイタリア・ベネチア地方の言葉「イタリア語」「輝かしく」の意味をもつ「ブリランテ(Brillante)」との名称を掲げ、大好きな音楽の「音楽記号」としても、“華やかに”という意味でも使われるという言葉の響きから「お客様と共に輝かしい未来を奏で続けたい」との思いで、新たな事務所名を決定したと語ります。

「地元・横浜の発展に貢献したい」との思いで東京ではなく、20年来在住している横浜での起業を決意したといい、「これから起業したい、また何か発明した、といった皆様のアイデア、新規事業へのチャレンジを応援することができれば」と、無料で対応するという「初回相談」(1時間まで)へのアクセスを呼び掛けます。

初回相談は無料。横浜・川崎・新横浜近郊へは出張相談にも出向き、相談者へのアドバイスを行っている(妙蓮寺・和食処「花灯」、2025年2月)

初回相談は無料。横浜・川崎・新横浜近郊へは出張相談にも出向き、相談者へのアドバイスを行っている(妙蓮寺・和食処「花灯」、2025年2月)

横浜・川崎・新横浜近郊へは無料で出張相談を行うことも可能とのこと。

高さんは、「これからも、知財を活かしたビジネス、地域での起業などについても応援していくことができれば」と、これまで歩んだ人生、そしてこれから出会う「人と人とのつながり」をより大切にしながら、新たに誕生した「特許事務所」所長としての地域内外でのチャレンジに日々邁進していく考えです。

)記事の掲載内容については、直接「ブリランテ国際特許事務所」にお問い合わせください

)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です

【参考リンク】

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