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港北区が登場する書籍を紹介する「港北が舞台の文芸作品」。第4回の「横浜線作品」では、新横浜周辺を中心に菊名小机など港北区内の横浜線沿線を舞台とした作品を取り上げます。

港北が舞台の文芸作品~新横浜・小机・菊名

「港北区が舞台の文芸作品」連載について
  • この連載主に小説と随筆、漫画を含むフィクションを交えた作品を中心に、港北区が登場する文芸作品を2024年6月から全8回わたって紹介していきます。
  • 文中の作家名などは「敬称略」で統一しました。また、作品の公開年は初出時とし、書誌の詳細と文中に引用した版は本ページ下部にまとめて掲載しています。

新横浜・小机・菊名と港北区内の横浜線沿線を舞台としている作品の特徴は「とにかく人が死ぬ」ということにありました。

これから紹介する本(一部)は以下のようなタイトルですが、すべての作品中で死人が出ています。

  • 夢の超特急(梶山季之、1963年)
  • 新幹線殺人事件(森村誠一、1969年)
  • 凍河(五木寛之、1974~75年)
  • 時間の風蝕~こだま269号から消えた女(津村秀介、1983年)
  • 新横浜発12時9分の死者(津村秀介、1987年)
  • こだま446号の死者(沼五月、1987年)
  • 横浜地下鉄殺人事件(斎藤栄、1989年)
  • JR横浜線殺人旅行(斎藤栄、1991年)
  • 新横浜駅殺人旅行(斎藤栄、1994年)
  • 横浜・修善寺0(ゼロ)の交差(深谷忠記、1994年)
  • 自由殺人(大石圭、2002年)
  • 横浜線ドッペルゲンガー(玉木ヴァネッサ千尋、漫画=2014年~2015年連載)
  • 吸血鬼すぐ死ぬ(盆ノ木至、漫画=2015年~2023年※連載一時休止中)
  • 犯人に告ぐ2~闇の蜃気楼(雫井脩介、2015年)
  • 東海道新幹線殺人事件(葵瞬一郎、2017年)

)上記以外の作品も紹介しています

東海道新幹線の駅である新横浜は「鉄道ミステリー」の舞台となりがちで、どうしても作品中で殺人事件が起きてしまうのですが、新横浜を舞台に据えた人気のギャグ漫画でさえ「吸血鬼すぐ死ぬ」というタイトル。書名から既に死んでいるわけです(すぐに生き返るというオチの作品です)。

殺人事件とは無関係な“新横浜作品”もあり、一例を挙げると林真理子の「春の海へ」(1997年、短編小説集「初夜」所収)は爽やかそうなタイトルとは裏腹に舞台は新横浜付近のラブホテル。

中村うさぎのエッセー集「さすらいの女王」(2005年)に所収されている「残高『0』円!」という一文は、安さを求めた癌(がん)健診で新横浜のクリニックへたどり着いたという内容でした。

片川優子の「ジョナさん」、画像は2010年発行の講談社文庫版

一方、高校2年生女子を主人公に据えた片川優子の「ジョナさん」(2005年)は物語の終盤で菊名駅西口の「ジョナサン」(ファミリーレストラン)が登場し、主人公の家は鴨居駅の坂の上という設定。どこか爽やかな“横浜線青春小説”といった雰囲気で、影を感じさせない作品もあるにはあります。

550年も昔の血なまぐさい記憶

今回は「ミステリー」「一般小説」「漫画」と3つにわたる新横浜周辺の作品を紹介していくなかで、まず最初に触れておきたいのが1冊の歴史小説です。

童門冬二(どうもんふゆじ、1927年~)による「小説 太田道灌」(1987年)は、江戸城の築城で知られる室町後期の武将・太田道灌(どうかん、1432年~1486年、資長=すけながとも)の歩みをたどったもので、冒頭に近い段階で登場するのが次のシーンです。

(略)足軽隊士達が気に入ったのは、後半の、

「いろはにほへと、ちりぢりになる」という部分であった。これから攻める小机城と、子供が手習いを始める小机とをひっかけたものだが、ちりぢりになるというのは、敵がちりぢりになるということであり、こちら側の勝利を意味していた。

「そうだ、小机城なんてすぐにちりぢりにしてやるさ」

「その通りだ!」

(略)

「それ、行くぞ!歌え!」

突然、武蔵野西方の草原に大合唱がおこった。

「小机は まず手習いの初めにて いろはにほへと ちりぢりになる!」

高まった士気のみなぎる歌声であった。その勢いに、初夏の草々がなびいた。そして、その草の間を、太田足軽隊士達の背にたてる桔梗の旗印が、軽いリズムにゆれながら草の間を走って行った。歌声はもちろん小机城に籠る城兵にもきこえた。

敵はこっちの数倍の兵力を持っていたが、城は難なく落ちた。資長は満足そうにうなづいた。そして心の中で、

(また、おれの歌が戦の役に立った)と思った。

(童門冬二「小説 太田道灌」)

上記は、今から約550年前の1478(文明10)年、室町時代の後期に行われた太田道灌による“小机城攻め”の様子を描写したものです。

長尾景春(かげはる)の乱」と呼ばれる“お家騒動”の際、景春側についた反乱軍が立てこもったのが小机城で、それを“主流派”の道灌(資長)が新羽の亀甲(かめのこ)山に陣を張って鎮圧していく、という構図でした。

童門冬二の「小説 太田道灌」、画像は1994年発行のPHP文庫版

戦場で兵が歌って士気を高揚させたのかどうかなど、小説なので創作部分が多々あるにしても、小机周辺で戦いが行われたことは史実であり、“小机は まず手習いの初めにて”の歌は小机城を説明する際には必ずと言っていいほど登場します。

双方とも無数の兵が戦死“ちりぢり”にされてしまった550年前の古戦場が小机城とその周辺です。新横浜駅近くには「篠原城」も置かれ、付近に“矢袋”という小字(こあざ)も見られるので、矢が飛び交う地だったのでしょう。

そんな古戦場の小机城跡を明治期にトンネルで貫いたのが横浜線であり、昭和期には城跡の一部を破壊して第三京浜道路を通し、篠原城の跡は住宅開発で削られ続けました。周辺でどこか死にまつわる創作物が多くなってしまうのは、土地の歴史的な因縁なのかとも思わされます。

なお、長尾景春の乱について、景春の側から描いた戦いや太田道灌像は「叛鬼(はんき)」(伊東潤、2012年)に詳しく、小机城の攻防も少し触れられています。

参考:朝日新聞販売店ASA大倉山・大倉山東部が発行する「大倉山STYLEかわら版!」で大倉精神文化研究所が連載する「大好き!大倉山」の第90回「港北を舞台にした小説~その1」(2024年4月15日発行)で「小説太田道灌」などについて、「わがまち港北3」(平井誠二・林宏美、2020年)の「第231回 港北のお城と館~その6、小机城の1」では小机城や長尾景春の乱について分かりやすい解説があります

森村誠一や山村美紗が新幹線作品

新横浜周辺が関係するミステリー作品は、1969(昭和44)年に発表された森村誠一(1933年~2023年)の「新幹線殺人事件」以降、東海道新幹線を舞台としたものが目立ちました。

森村誠一の「新幹線殺人事件」(1969年)、画像は角川文庫が2023年に発行した改版9版

東海道新幹線と新横浜駅は今月(2024年)10月1日にちょうど開業60周年を迎えていますが、これらの作品からも新幹線や新横浜が歩んだ60年の断片をたどっていくことができるでしょう。

新幹線開業から5年後を舞台とした森村の「新幹線殺人事件」(1969年)は、新横浜駅での上下列車の乗り換えや、新幹線車内に設置されていた公衆電話(2021年6月までに全面廃止)からの発着信がトリックとなった作品。

公衆電話の取り扱いをビュッフェ(2008年までに全面廃止)の店員が行ったり、新幹線の走る位置によって担当する電話交換局が変わったりと半世紀以上前ならではのアリバイを崩していくストーリーは、今となっては新鮮といえるかもしれません。

「新幹線ジャック」が掲載されている山村美紗の短編ミステリー集「幻の指定席」(1978年)、画像は1983年発行の文春文庫版

1978(昭和53)年の月刊小説誌に掲載された山村美紗(1931年~1996年)の短編「新幹線ジャック」(1978年「幻の指定席」所収)は、新大阪を出発した「ひかり」号のグリーン車が列車ジャックされ、犯人が新横浜へ着くまでに拘留中の赤軍兵士の解放と12億円を国鉄(現JR)に要求するという話。

新横浜という駅名が幾度も登場するだけで舞台となっているわけではないのですが、殺人も起こらず、いつの間にか金だけが奪われてしまうミステリーは、人間心理を突いたトリックとして一読の価値があります。

畑から土埃が舞っていた新横浜駅

津村秀介の「時間の風蝕(ふうしょく)~こだま269号から消えた女」(1983年)、画像は1994年発行の青樹社文庫版。近年の文庫版はサブタイトルが省略され「時間の風蝕」というタイトルで発行されている

津村秀介(1933年~2000年)の「時間の風蝕(ふうしょく)~こだま269号から消えた女」(1983年)は広大な空地が広がる新横浜駅から車で5分ほどという10階建てのホテルが殺人事件の舞台。

港北警察署に捜査本部が設けられて事件を追っていく点に加え、新横浜駅の描写も見どころです。

高いホームは、舗道にも増して西風が激しかった。下りホームの左下は野菜畑で、畑からは絶え間なく土埃(つちぼこり)が舞い上がった。

(時間の風蝕~こだま269号から消えた女)

そんな新横浜駅のホームで「こだま269号」を待っていた人の姿は2~3人しか見えず、三島駅までの利用者は6人しかいなかったというあたりに1980年代前半の新横浜駅が置かれた状況が分かります。

同じく津村の作品である1987(昭和62)年の「新横浜発12時9分の死者」は、タイトルに“新横浜”と入っているので期待を持たせますが、舞台はまったく異なっており、被害者が新横浜発12時9分の新幹線で向かった先はどこだったのか、という点が核心。

津村秀介の「新横浜発12時9分の死者」(1987年)、画像は1990年発行の講談社文庫版

港北区が舞台の作品を探すうえでは、書名のトリックに引っかかった気持ちにもなりますが、本編のトリック自体は精巧で読みごたえはありました。

ちなみに津村は、新横浜とはまったく関係がなさそうな1990(平成2)年のミステリー「寝台急行銀河の殺意(※「銀河」号は東京と大阪の間を走っていた寝台列車、2008年に廃止)内で、新横浜駅・新幹線高架下の商業施設「アスティ」時代からあった居酒屋「焼鳥倶楽部」(後継の「ぐるめストリート」内にも残ったが2022年5月閉店)を実名で出していたり、「異域の死者~上野着17時40分の女」(1989年)では重要登場人物の住まいを妙蓮寺駅近くの“高級住宅街”に設定していたりします。

また、“新横浜発12時9分の死者”以降に紹介した3作品に謎解きの一人として登場する新聞記者は、菊名駅近くの団地に妻と住んでいることになっており、横浜生まれの作家らしく市内各地がよく登場している点も特徴です。

新横浜は首都圏最後&最初の停車駅

新幹線を舞台とする作品では、新幹線車内で殺され、静岡手前で発見されたはずの死体がいったん消え、再び新横浜駅を過ぎてから姿を現わすという「こだま446号の死者」(沼五月、1987年)もありました。

こだま号」は後続列車に追い越されたり、そのために途中駅での停車時間が長かったりする点がトリックに適しているといえます。紙版の時刻表では発車時刻しか載っていない駅も多いため、実は掲載の時刻より早く到着するので乗り換えができていた、という種明かしがたびたび見られました。インターネットで簡単に列車時刻を検索できる今では使いづらい手法といえます。

葵(あおい)瞬一郎の「東海道新幹線殺人事件」、画像は2017年発行の講談社ノベルズ版

2017年に刊行された「東海道新幹線殺人事件」(葵瞬一郎)は、下り(新大阪方面)の「のぞみ」が新横浜駅を出発して次の名古屋へ向かっている際、上り(東京方面)では「ひかり」が新横浜に到着する前のほぼ同時時刻にスーツケースに詰められた死体が車内で発見されるところから始まる新幹線ミステリー。同作では新横浜での上下線乗り換えが重要なポイントとなっていました。

森村誠一の「新幹線殺人事件」もそうでしたが、新横浜は首都圏で最後または最初の停車駅となるので、上下線を乗り換えて捜査を惑わせる、という手法に欠かせない存在なのかもしれません。

横浜市を熟知する斎藤栄の作品群

ここからは東海道新幹線以外で新横浜周辺を舞台としたミステリー作品を紹介します。

今年(2024年)6月15日に91歳で亡くなった斎藤栄(1933年生まれ)は、横浜市の職員から作家に転じたという経歴もあって市内を舞台に選んだ作品も多く、新横浜関連では3冊が見つかりました。

斎藤栄の「横浜地下鉄殺人事件」(1989年)、画像は1991年発行の光文社文庫版

1989(平成元)年の「横浜地下鉄殺人事件」は、市営地下鉄3号線(ブルーライン)が新横浜駅まで延伸(1985年)してそれほど時間が経っていない頃のミステリー。岸根公園駅がトリックの重要な場所として登場します。

横浜駅から乗車した捜査員が地下鉄が空いている様子を見て「これが新横浜を経由して港北ニュータウンへぬけるようになると、もっと乗降客の数はふえると思いますが……」といった内容の会話が残されているのも新横浜が“終点”だった頃(1985年~1993年)の記憶として貴重です。

斎藤栄の「JR横浜線殺人旅行」(1991年)、画像は1994年発行のケイブンシャ(勁文社)文庫版

横浜地下鉄殺人事件の刊行から2年後の1991(平成3)年に発表された「JR横浜線殺人旅行」は、磯子にある「横浜プリンセスホテル」(※モデルにしたとみられる「横浜プリンスホテル」は2006年閉鎖、解体後はマンション)から人が転落したのを磯子駅のホームから見た、という場面から始まる作品。

目撃者が勤務している菊名駅近くの企業をはじめ、横浜線の12駅が章ごとに登場し、通勤路線が舞台ながら謎の多い鉄道ミステリーに仕上げられています。

1994(平成6)年の「新横浜駅殺人旅行」は、新横浜駅の駅舎脇で1人の女性死体が発見され、続いて駅近くの「新横浜モノトーンホテル」(架空)でも1人の男性死体が見つかるところから始まるミステリー作品です。

斎藤栄の「新横浜駅殺人旅行」(1994年)、画像は2003年発行の中公文庫版

“この事件は、新横浜駅を汚(けが)すとんでもない犯罪だ。ここはわれわれの手でなんとか解決せねば……”と鉄道公安官(国鉄時代の鉄道警察組織)出身の警視庁鉄道警察特捜隊江戸川警部が事件解決へ向けて奮闘。新横浜の登場比率が高い一冊でした。

なお、上記の3冊は「横浜地下鉄殺人事件」と「新横浜駅殺人旅行」が“江戸川警部シリーズ”、「横浜地下鉄殺人事件」は“タロット日美子シリーズ”と呼ばれる同一の主人公が登場する一連の作品群に属しています。

1990年代前半の新横浜の姿とは

深谷忠記(ふかやただき、1943年~)が1994(平成6)年に発表したミステリー「横浜・修善寺0(ゼロ)の交差」は、物語の中盤に新横浜駅前公園で死体が発見されるシーンが印象的な長編作品。

周辺には、空室の目立つビルや建てかけのビル、駐車場などがあるものの、民家はほとんどない。だいたい、新横浜駅前の北側は何もなかったところが開発されて、雨後の筍のようにビルが建てられた地域なので、昼はビジネスマンやビジネスウーマン、専門学校の学生などで賑わっても、夜、人々の活動が終わった後は、ゴーストタウンのようにひっそりとしてしまう。

(深谷忠記「横浜・修善寺0(ゼロ)の交差」)

1990年代前半の新横浜は、80年代末期の「横浜アリーナ」(1989年)開業を皮切りとして、「新横浜プリンスホテル」(1992年)や「新横浜ラーメン博物館」(1993年)のオープン、1993(平成5)年には地下鉄の「新横浜~あざみ野」延伸など、現在にいたる街の骨格が築かれつつあったものの、上記描写のようにまだまだ発展途上であったことが分かります。

深谷忠記の「横浜・修善寺0(ゼロ)の交差」(1994年)、画像は1997年発行の講談社文庫版

なお、同作品では日吉を自宅とする重要な人物も設定されており、港北区内の登場が比較的多い点も特徴です。

ホラー作品も手掛ける大石圭(1961年~)の「自由殺人」(2002年)は神奈川県西部を舞台とし、スーツケースに入った強力な時限爆弾が不特定の十数人にコインロッカーを経由して送りつけられ、1つは平塚駅で意図せずに、いくつかは入手者が意図した場所に置いてクリスマスイブに爆発し、1000人以上が死に至るという恐ろしいストーリー。

大石圭の「自由殺人」(2002年)、画像は2002年発行の角川ホラー文庫版

小さなビルを吹き飛ばすほどの強力時限爆弾が最初に警察に持ち込まれることになったのが、新横浜駅のコインロッカーから発見されたものだった、というあたり、神奈川県の玄関口でもあることを痛感させられます。

妙蓮寺・小机を舞台に誘拐劇

雫井脩介(しずくいしゅうすけ、1968年~)の「犯人に告ぐ2~闇の蜃気楼」(2015年)は、誘拐犯が菊名池公園に逃げ込んで籠城するまでのストーリーが見どころとなる作品。

子どもを誘拐して監禁した場所にも使われた犯人兄弟の自宅妙蓮寺駅付近という設定となっており、小机から妙蓮寺にかけての風景がたびたび登場します。

水岡勝俊を監禁する部屋は、須藤均を監禁したときと同じような、防犯カメラのない古い賃貸マンションの一階を、淡野が小机町に見つけてきていた。

(略)

水道道(すいどうみち)を東南に走り、岸根公園の前で右に折れる。東海道新幹線の高架をくぐって小机駅方面へ向かう。小机駅近くの住宅街の一角に月極駐車場がある。須藤均の誘拐で使った馬込の駐車場と同じく、周辺に防犯カメラの目がない物件を選んで淡野が借りたものだ。

(雫井脩介「犯人に告ぐ2~闇の蜃気楼」)

小机の街はこの長編ミステリーにおいて「防犯カメラの少ない場所」というイメージらしく、誘拐した横浜企業の社長を監禁したり、犯行に使う車を隠したりする場所として何度か登場します。

また、主人公の巻島刑事港北署で勤務経験を持っているという設定になっており、港北区南部の登場比率がきわめて高い作品です。

雫井脩介(しずくいしゅうすけ)の「犯人に告ぐ2~闇の蜃気楼」(2015年)、画像は2018年発行の二葉文庫版(上・下)

雫井の“犯人に告ぐ”シリーズは現在、2019年の「3~紅の影」まで刊行されており、「2」と「3」は登場人物とストーリーで深く関係し、3では都筑区の仲町台駅周辺が登場しています。

今のところシリーズを通じて最終的な“解決”は見ているとは言えず、謎も多く残されている状態のため、続く「4」の刊行が待たれます。

角田光代が描く「夜の小机」短編

ここからはミステリーではない小説を紹介していきましょう。

 町との接点をうしない、町のほうからも突き放されたとき、私はいつも、小机の町にいるような気分になる。そういう意味で、かかわりようのない他人のような町はすべて、私にとったら小机だ。そこがマレーシアのマラッカでも、トルコのクサダシでも、どうしようもなく小机的だ。

(角田光代「不完全なわたしたち~3『北原荘201号』横浜市港北区小机町21XX」=「おまえじゃなきゃだめなんだ」所収)

直木賞作家・角田光代(1967年~)が2002(平成14)年に隔月刊の書評誌に連載した短編集「不完全なわたしたち」(連載時は「不完全な天体」)の3回目で舞台としたのが小机でした。

主人公は杉並区に住むという20代半ばの女性。かつて家から勘当されて転々としていた若い叔母(おば)が一人で住んでいたのが「私が見てきたなかでも最低の部類」という小机の古いアパートで、定期的に叔母を訪れていた幼少時を振り返ったのが本作です。

「不完全なわたしたち~3『北原荘201号』横浜市港北区小机町21XX」が収録された角田光代の「おまえじゃなきゃだめなんだ」(2015年)、画像は2015年発行の文春文庫版

叔母と歩いて夜の銭湯を訪れるシーンは、小机からすべての銭湯が消えてしまった今ではもう見られない風景。

街と関わりをつかみたい思いが強かったのか、研ぎ澄まされた感覚で眺める夜の小机の描写は美しく、商店街を走る最終バスの姿や虫の音など、どこか淋しさも漂わせ、残像が心に沁みていくかのよう。

なお、“不完全なわたしたち”シリーズでは、第6回に「『紅座』横浜市港北区仲手原二一XX」という作品もありますが、登場するのは仲手原の街ではなく、かつて白楽駅近くの旧綱島街道沿いにあった映画館(神奈川区六角橋)が舞台。

若き日に近くの「捜真(そうしん)女学校」(神奈川区中丸)へ通った横浜出身の角田ならではか、タイトルに“謎”を漂わせる短編となっています。

新横浜と小机が舞台の「漫画」作品

玉木ヴァネッサ千尋(ちひろ)の「横浜線ドッペルゲンガー(1巻)」(2014年~2015年)、画像は2014年発行の集英社ヤングジャンプ・コミックス版

2014(平成26)年から翌2015(平成27)年に週刊ヤングジャンプに連載された「横浜線ドッペルゲンガー」(玉木ヴァネッサ千尋)は、横浜線沿線で起きた「彫刻家連続殺人事件」の犯人として、罪を着せられた主人公の若い彫刻家が死刑を執行されるシーンから始まる漫画作品。

独語で「分身」を意味するドッペルゲンガーの通り、死刑となったはずの主人公が事件前の世界に戻り、その頃の自分と2人で自らの運命を変えるべく、復讐の日々を描いたミステリー的な内容で、とにかく多くの人が殺されてしまいます。

タイトルにある“横浜線”の風景はほとんど登場しないのですが、後半に港北区や小机、新横浜といった具体的な地名が登場しており、港北区民は特にリアリティが感じられるかもしれません。

盆ノ木至(いたる)の「吸血鬼すぐ死ぬ(1巻)」(2015年~)、画像は2015年発行の秋田書店少年チャンピオンコミックス版

漫画で新横浜を舞台とした作品といえば、2015(平成27)年から週刊チャンピオンに連載し、近年はアニメ化されるなど人気を集める「吸血鬼すぐ死ぬ」(盆ノ木至=ぼんのきいたる)が知られます。

新横浜に住む吸血鬼ハンター「ロナルド」と吸血鬼「ドラルク」が新横浜の街に次々と登場する“変な吸血鬼”と戦っていく……というより巻き込まれていくギャグ漫画。

作者の盆ノ木は地元在住でたびたび新横浜の周辺を歩いているといい、“ヴリンスホテル”とか“ルービックプラザ”とか微妙な名前に変え、港北区民ならすぐに分かる風景を幾度も登場させています。

2024年10月現在は作者休養のため一時的に連載を休止していますが、これまでに刊行されている25冊の単行本や全24話にわたるアニメを地元民ならではの目線で楽しみたいところです。

参考:「吸血鬼すぐ死ぬ」については、新横浜新聞~しんよこ新聞で2021年5月17日に掲載した「<舞台は新横浜>アニメ化決定の『吸血鬼すぐ死ぬ』、地元と浅からぬ縁」で詳しく紹介しています

林真理子の短編に見る新横浜風景

再び小説に戻ります。冒頭で少し紹介した林真理子(1954年~)の「春の海へ」(1997年、短編小説集「初夜」所収)には、新横浜駅周辺の風景描写が盛り込まれています。

 「もっと近いところにしようよ。新横浜の方でもいいだろ」

「えっ、新横浜に海なんてあるの」

「だからさ、海じゃなくって、二人きりになれるところにしようよ」

(略)

寛子の沈黙を承諾ととったのだろう、伊藤は「新横浜」と表示された高速の出口へと向かう。そこは奇妙な町であった。新幹線の中から見たのではわからなかったのであるが、大きな森が残されているかと思うと、その傍に高層ビルが建っている。まだ開発されきっていない低い山の裾野に、小さな家々が押し寄せてきていた。都会と自然とがまだ折り合いがつかず、てんで肩肘張っているような感じである。

(林真理子「春の海へ」=「初夜」所収)

不倫関係にある45歳の伊藤と39歳の寛子が春の海を眺めるという目的で江ノ島方面へ車を走らせていたはずが、男が面倒になって新横浜へ行先を変え、工場地帯に見つけた「ひと目でその種のホテルとわかる建物」へ入っていくまでのシーンが上記の引用部です。

昭和期の港北区内では、綱島温泉が男女の“逢引の場”を担っており、そうした作品群を本連載の第2回「綱島編」で紹介しましたが、新幹線の開業を機に熱海などの温泉地が近くなったこともあって昭和後期には温泉街の衰退が進みます。「春の海へ」にも登場する第三京浜道路(1965年全通)の存在も遠方へ出かけるうえで影響を与えたことでしょう。

「春の海へ」が収録された林真理子の「初夜」(2002年)、画像は2005年発行の文春文庫版

綱島温泉で宿を営んでいた経営者の一部は、当時新しい町だった新横浜へ場所を移して商売を続けたと言われており、そうした背景もあって新横浜駅とその周辺(港北インターチェンジ付近など)には“連れ込み宿”の集積地が生まれることになります。

「春の海へ」が発表された1997(平成9)年は、3月にテレビ東京系の情報ランキング番組「出没!アド街ック天国」で新横浜が取り上げられており、その種の宿が“ブティックホテル”との名で集積していることが“新横浜の名物”として5位にランクインしたほどでした。

実際にそれだけ数が多かったのですが、令和の時代に入ると、人口減の影響かコロナ禍で需要が落ちたのか、それとも需要旺盛なマンションに建て替えたほうが良いためか、駅付近の集積地では閉店が相次いでいます。港北インターの近くでは廃墟になった建物が今も放置されたままです。

すでに衰退の兆候が色濃く出ており、林の作品にあるような不倫や密会を取り上げた小説類で新横浜を登場させることは、今後無くなっていくのではないかと想像されます。

五木寛之が残す70年代の篠原周辺

新横浜周辺を舞台とした作品のなかで代表的な存在が五木寛之(ひろゆき、1932年~)の新聞連載小説「凍河(とうが)」(1974~75年連載)です。

 医局に出頭した日から何日かたった土曜の午後、ぼくは横浜の和親会(わしんかい)病院を探して、新横浜駅を見おろす小高い丘の中腹をオートバイで走っていた。

(略)

さっき交番で聞いてきた和親会病院はなかなか見つからなかった。自分の方向感覚に自信をなくしかけたころ、ようやく灰色のみすぼらしい建物が目に入った。

新幹線の駅付近とはいえ、そのあたり一帯は、まだどことなくひなびた感じで、畠や、雑木林や、古い農家の納屋(なや)らしきものがいくつか残っている。横浜の市内に、こんな場所があるとは、ぼくにも意外だった。病院の建物は、ちょうど雑木林と低い丘にはさまれた場所にあったのだ。

(略)

病棟そのものは貧弱だが、周囲の環境は、わるくはない。付近には、ぽつぽつ民家が建ちはじめていて、それも相当に金のかかった高級住宅街ふうの建物が目立っている。

いずれ五年か十年たてば、いまは一面の野っぱらめいた新横浜駅前や、この丘の一帯も、団地アパートや、商店街や、住宅などが建ちならぶ地域になるのだろう。

(五木寛之「凍河」)

新横浜駅周辺の篠原町付近とみられる「和親会病院」(架空)へ赴任する駆け出しの若い精神科医竜野努(ツトム)。自慢のバイクで病院へ向かっているシーンが上記の引用です。

病院の経営よりも理想を追求する院長の高見沢順造と献身的に支える妻、一人娘で“手紙魔”のナツキが住む古い一戸建て住宅は、東急東横線を見下ろし、横浜中心部までが見渡せる丘の上

主人公のツトムは院長宅の離れへ下宿して和親会病院に勤務することを決め、小説の大半は“篠原エリア”で展開されることになります。

五木寛之の「凍河」(1974年~75年)は1989年までにさまざまな形で出版された後、2008年に平凡社が単行本の改訂新版を発行している。画像は2008年発行の平凡社・改訂新版

病院には治療を終えても居残り続ける不思議な患者・阿里(あり)葉子がおり、ツトムが次第にひかれていくという“若い精神科医と患者の恋”が主題の恋愛小説ですが、1970年代前半の篠原エリアの描写は見どころの一つ。

住宅地化しつつあった同エリアで精神科病院を運営していくことの苦心も物語に盛り込まれており、その結末がどうなるのかは“恋愛小説”の部分とは別に追いたいところです。

この時代、日本中から注目を集めていた人気作家の五木。縁の深かった金沢を離れ、港北区南部に住み始めてから数年が経過しており、自らの目で幾度も見たであろう篠原エリアの風景を作品化したという点でも特筆すべき小説といえます。

また、同じ港北区民という視点で触れると、五木の妻で精神科医だった玲子(のちに版画家)は精神科を小説の舞台とすることに「猛反対した」(朝日新聞1975年1月15日号)と言われる一方、作品の完成度を高めることに影響を与えたのではないかと想像されます。

1976(昭和51)年4月には映画「凍河」(96分)が公開され、2013年には「あの頃映画 松竹DVDコレクション」(画像)としてDVDも発売されている

流行作家と呼ばれ続けていた五木による久々の長編作品ということもあり、連載終了の翌1976(昭和51)年には松竹が映画化

歌手・俳優の中村雅俊が主人公をつとめ、ヒロイン葉子はのちに中村と結婚することになる五十嵐淳子が演じ、さらには石原裕次郎が友情出演し、音楽を荒井由実(松任谷由実)が担当するなど豪華布陣でのぞみましたが、心の動きが多い長編小説を映像化することに難航した様子が垣間見られ、篠原エリアを感じられるシーンも一部にとどまりました。

梶山季之の怒りが「夢の超特急」に

五木寛之や林真理子らが都会と自然が入り混じった1970年代から90年代にかけての新横浜周辺の風景を作品中に残す一方、1964(昭和39)年に東海道新幹線が開業する以前の姿を題材としたのが梶山季之(としゆき、1930年~1975年)の「夢の超特急」(1963年)でした。

 昭和三十一年を過ぎたころから、菊名駅周辺にも宅地ブームが押しよせはじめた。これは住宅公団が、菊名から三つ手前の日吉に、団地を建設したことに刺激されたのだと見ていい。

低湿地で農耕に従事していた地主たちが、あまり収入もない自分たちの農地を、公団に高く売りわたしたいとひそかに考えはじめたのも、この宅地ブームの影響だった。

五人家族の農家で、現在では一町歩(ちょうぶ)の耕地を持たないと、人並みの生活はできないといわれている。反(たん)当たり三石(ごく)の米作収入があるとしても、一升(しょう)百二十円で換算するなら、年収三十六万円だった。

だが「篠原耕地」では、反当たり二石がせいぜいなのである。一年の半分を費やして、夏の炎天下を田の草取りで這(は)いまわっても、一町歩を耕作して年収二十万円あまりでは、どうにもならない。

が、これを宅地として売ることができたら、どういうことになるか――。

(略)

だが、篠原耕地は、菊名駅から徒歩で三十分もかかる地域にあるうえに、道路が悪い。しかも農林省から、土地改良区に指定された「第一種農地」であった。

つまり、宅地転用が困難なのである。

(梶山季之「夢の超特急」)

新幹線が開業する前、現在の新横浜が形づくられる前“篠原耕地”がどういう地だったのかを書き残したのが上記の引用部分です。

横浜アリーナ(約8000平方メートル)よりも広い「一町歩」(約1万平方メートル)の水田を持っていたとしても、わずか年収20万円余にしかならず、宅地転用もすぐにできない土地だったといいます。

そんな農業地帯に東海道新幹線の駅が設けられることになり、駅周辺の土地買収をめぐって繰り広げられた“用地汚職疑惑”を題材に小説化したのが本作でした。

梶山季之の「夢の超特急」(1963年)、画像は1963年に発行された光文社カッパ・ノベルズ版

作品内での名で説明すると、国鉄の「東海道特急ライン」の「新神奈川駅」ができることをいち早く知っていた大阪の土地ブローカー「中江雄吉」は、予定地に近い菊名駅前の不動産店「菊名商事」の「佐渡亮次」に自動車工場が進出するための用地が必要であるとして、大豆戸・篠原・岸根の農地を鳥山川に沿って帯のように細長く買収することを依頼して入手。

主に汚職を捜査する警視庁の「捜査二課」が東海道特急ライン建設に関わる別の贈収賄事件を捜査するなかで、「新神奈川駅」予定地の一帯が中江という男にあらかじめ買い占められており、国鉄が高値で買い取らなければならなかったことを知ります。

やがて、その背後に「西南急行」の会長「堀康助」らが見え、さらに黒幕として「憲民党」幹事長「工藤陸郎」の姿を感じ取った捜査二課は、捜査員を投入しての疑惑追及を決意。

「新幹線公団」に勤務し、幹部の愛人とされ、疑惑解明の重要な鍵を握っているであろう「田丸陽子」の失踪とともに、ミステリー小説のように進んでいきます。

梶山季之の「夢の超特急」は1975年に集英社が文庫化(画像)して以降、角川書店ブックウォーカーで電子書籍版が公開されたほかは発行されていない

作品中に描かれた出来事は“失踪事件”を除いて当時の新聞や週刊誌報道でも取り上げられており、土地ブローカーの「中江」や「菊名商事の佐渡」は誰がモデルであるかは多くの人が知るところ。黒幕とされた西南急行会長の「堀」や憲民党の「工藤」も同様です。

また、作中には農地を買収された所有者の名も多数登場しているのですが、当時の地元では現実の世界で誰のことが書かれているのかをすらすら解説できる人が多数おり、小説に書かれたことはフィクションではなく、ほぼ現実に沿った出来事であると受け止められていたようです。

作者の梶山自身も初版(1963年12月カッパノベルズ版)のあとがきに「昭和三十七年二月に、東海道新幹線をめぐる用地汚職があるという情報を、ひそかにキャッチし、取材仲間のN君とふたりで、コツコツ調べあげた材料を、ふんだんに使って書いた」と明かします。

そして、「私自身も、こうした不正には、はげしい怒りを感じた。これが動機になって、私たちが調べあげたデータを素材にして書いたのが、この小説である」と書き残しました。

1963年の光文社カッパ・ノベルズ版「夢の超特急」の裏表紙に掲載された梶山季之の写真、梶山は1975年に45歳の若さで亡くなっている

梶山はもともと週刊誌でスクープを専門に狙う「トップ屋」と呼ばれるフリー記者でしたが、つかんだ“ネタ”を紙面で発表できないことにいらだちを感じ、小説という形での発表を選んだようです。

一方、「夢の超特急」は“読み物”としてもあまりに出来すぎた作品ゆえか、世間にはフィクションであると受け止められており、梶山は「失望とショックを味わった」(集英社版「梶山季之自選作品集7」あとがき)といい、これを機にエンタテインメント的な作品を発表する作家に変わっていくことになり、「痛恨の深い作品」(同)と振り返っています。

60余年を経た現在の新横浜からは、収穫の乏しい農地だった頃の姿が想像できないように、この本さえ入手しづらくなり、横浜市立図書館で貸し出されているのはわずか1冊だけ。用地買収にからむ“疑惑”も広く知られることはなくなりました。そして、1975(昭和50)年に梶山が45歳で没してから半世紀もの月日が流れようとうとしています。

参考:新横浜新聞で2024年9月30日に掲載した特集記事「<港北区と東海道新幹線>新横浜駅『買い占め』疑惑と大倉山トンネルの悲喜」に駅建設の用地騒動の詳細をまとめています

次回予告など
  • 「港北が舞台の文芸作品」の第4回「横浜線作品~新横浜・小机・菊名」編はこれで終了です。次の第5回では日吉を中心に周辺地域を含めた「日吉周辺」を舞台としている作品を2024年内に紹介します。このあと第6回は「菊名・妙蓮寺エリア」を予定しています。

今回引用した書誌の詳細

)書誌詳細やリンク先は2024年10月時点のものです。

  • 小説 太田道灌(童門冬二):初出1987(昭和62)年読売新聞社(単行本)、1994(平成6)年PHP文庫。本稿はPHP文庫版の1994年7月発行第1版1刷を引用した【出版社(文庫版)在庫不明・デジタル版有/横浜市図書館貸出有】
  • 時間の風蝕~こだま269号から消えた女(津村秀介):初出1983(昭和58)年栄光出版社(単行本)、1985(昭和60)年集英社文庫版、1989(平成元)年天山文庫版、1994(平成6)年青樹社文庫版、1998(平成10)年ケイブンシャ(勁文社)文庫版、2010(平成22)年実業之日本社(新装版)など。本稿は青樹社文庫版の1994年12月第1刷を引用した【出版社(実業之日本社)在庫無し/横浜市図書館貸出有(栄光集英社天山青樹社)/国会図書館デジタルで栄光出版社(単行本)版を公開】
  • 横浜地下鉄殺人事件(斎藤栄):初出1989(平成元)年実業之日本社(ジョイ・ノベルズ)、1991(平成3)年光文社文庫版。本稿は光文社文庫版の1993年7月発行の3刷を引用した【出版社(実業之日本社)在庫無し・電子版有/横浜市図書館貸出有(実業之日本光文社文庫)】
  • 新横浜駅殺人旅行(斎藤栄):初出1994(平成6)年実業之日本社、1996(平成8)年実業之日本社ジョイ・ノベルズ、2003(平成15)年中公文庫版。本稿は中公文庫版の2003年4月発行の初版を引用した【出版社在庫無し・電子版有/横浜市図書館貸出有(実業之日本ジョイ・ノベルズ中公文庫)】
  • 横浜・修善寺0(ゼロ)の交差(深谷忠記):初出1994(平成6)年講談社ノベルス、1997(平成9)年講談社文庫版、2005(平成17)年光文社版。本稿は講談社文庫版1997年8月発行第1刷を引用した【出版社在庫無し・電子版有/横浜市図書館貸出有(講談社ノベルス講談社文庫)】
  • 犯人に告ぐ2~闇の蜃気楼(雫井脩介):初出2015(平成27)年双葉社(単行本)、2018(平成30)年双葉文庫版(上・下)。本稿は双葉文庫版2018年5月発行初版を引用した【出版社ほか入手可能・電子版有/横浜市図書館貸出有・港北図書館所蔵(単行本文庫上巻文庫下巻)】
  • 不完全なわたしたち~3「北原荘201号」横浜市港北区小机町21XX(角田光代):初出2002(平成14)年「レコレコ(recoreco)2002年10-11月号」(メタローグ)(※「不完全な天体」のタイトルで連載)、2015(平成27)年文春文庫「おまえじゃなきゃだめなんだ」所収。本稿は2015年1月発行文春文庫第1刷を引用した【出版社ほか入手可能・電子版有/横浜市図書館貸出有・港北図書館所蔵】
  • 春の海へ(林真理子):初出1997(平成9)年「オール讀物1997年3月号」、2002(平成14)年文藝春秋「初夜」(単行本)所収、2005(平成17)年「初夜」文春文庫版所収。本稿は2005年5月発行の文春文庫版第1刷を引用した【出版社ほか在庫不明・電子版有/横浜市図書館貸出有・港北図書館所蔵】
  • 凍河(五木寛之):初出1974(昭和49)年9月~1975(昭和50)年7月「朝日新聞」連載、1976(昭和51)年文藝春秋(単行本)、1978(昭和53)年文春文庫版(上・下)、1980(昭和55)年五木寛之小説全集第29巻所収、1989(平成元)年集英社文庫版(上・下)、2008(平成20)年平凡社・改訂新版(単行本)、本稿は平凡社・改訂新版2008年8月発行初版第一刷を引用した【出版社ほか在庫切れ/横浜市図書館貸出有(文藝春秋全集第29巻集英社文庫上集英社文庫下平凡社版)/国会図書館デジタルで文藝春秋(単行本)文春文庫上文春文庫下を公開】
  • 夢の超特急(梶山季之):初出1963(昭和38)年光文社カッパ・ノベルズ、1972(昭和47)年集英社「梶山季之自選作品集 7」所収、1975(昭和50)年集英社文庫版(「夢の超特急~新幹線汚職事件」のタイトル)。本稿は光文社カッパ・ノベルズ1963年12月発行11版を引用した【出版社ほか在庫切れ/角川書店ブックウォーカーで電子版有/横浜市図書館貸出有】

)この記事は「新横浜新聞~しんよこ新聞」「横浜日吉新聞」の共通記事です

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