新横浜駅のすぐ近くにかつて「城」があった――地域の歴史を知る“特別授業”が、新幹線も見下ろす城跡でおこなわれました。
先月(2022年)11月17日(木)午前、横浜市立篠原小学校(篠原東3)5年生1クラスの児童約30人が、「総合的な学習の時間」の授業で、新横浜駅にもほど近い「篠原城址」を見学。
篠原の歴史と地域を知り学べる別授業としての貴重な時間を共有しました。
篠原城は、新横浜駅にもほど近い大豆戸町、篠原町表谷地区の一帯にある「城山」に築かれたとされる室町・戦国時代の山城。
江戸時代の城とは異なり、天守閣などはありませんでしたが、現在も区画された土地空間や土の城壁などの遺構を残していることが判明。
現在は、横浜市環境創造局や、将来的な再開発に向け市が管理する土地としても、特別な許可がない限り、立ち入りができない場所となっています。
「未来につながる篠原」授業として見学が実現
なぜ、子どもたちが「篠原城址」を見学したのか。
「総合的な学習の授業の中で、5年生共通で学びのテーマを『未来につながる篠原』として設定していました」と、この日の“歴史ツアー”を引率した学年主任でクラス担任の小野里勇貴教諭。
3つのクラスそれぞれに異なるテーマを扱う中、「街の歴史を知り、そこに生きる人々とも交流してもらえたら」と、「篠原城址」見学に至った経緯を説明。
新型コロナウイルス禍で課外活動ができなくなる以前、3年前の2019年に当時の3年生を「まち探検」の授業の一環として引率して以来の城跡見学になったと明かします。
「コロナ禍」乗り越え現地へ、喜びの笑顔も
今回の授業に先立ち、「地域の歴史を知るため」にと、新横浜周辺の郷土史に詳しい「篠原城と緑を守る会」の臼井義幸(よしゆき)さんと神谷(こうや)敏明さん、岡田裕美さんが、前月(10月下旬)に学校内でおこなわれた授業でも登壇、今回の城跡見学につながったといいます。
11月17日の「屋外授業」では、篠原小学校から徒歩10分ほどの場所にある、城代を務めたと伝えられる金子出雲(いずも)の菩提寺・長福寺(篠原町)をまずは訪問。
住職の村上宥真(ゆうしん)さんがまず子どもたちに、長福寺の歴史と、篠原城があった頃の時代背景から金子出雲が力を持っていたことなどを説明。
続いて、この日も“先生”として来場した岡田さんが、かつて田んぼや沼地、鶴見川に囲まれていた「篠原城址」の場所や地形、緑地だが緑がなくなってきていることなどを解説し、臼井さん、神谷さんとともに現地での案内もおこなっていました。
この日は松久保伸子校長も同行。「篠原城址に入るのは(自分自身も)、篠原小学校に着任以降初めてになります」と、新型コロナ禍でストップしていた地元との交流、学びが再開したことに喜びと感謝の表情で子どもたちの様子を見守っていました。
「学びの成果」を保護者に披露、地域ぐるみで史跡を守るには
「特別授業」実施の後におこなわれた授業参観でも、今回の学びの成果を保護者に向けて発表し伝えたという篠原小5年生1クラスの児童たち。
「みんなの家の人の多くも(城跡に)入ったことはないはず」と、小野里教諭は、地域の歴史をリアルに学んだこと、それを家族や周りの人々に伝えていくことの大切さについても子どもたちに伝えます。
実際に、篠原城の発掘調査が本格的におこなわれたのは2011(平成23)年になってからのこと。
「篠原城と緑を守る会」の働きかけもあり、城跡と緑の残る丘(城山)が、市環境創造局の「篠原城址緑地」にも指定され保存されるようになったといいます。
発掘がおこなわれた場所も、宅地開発が進んでしまった現状もあり、貴重な歴史遺産を残しながら、どのようにその歴史を伝えていくのか、その保全や普及についても、これからの大きな「地域の課題」になっていくことが予想されます。
5年生児童が地域で育ち、活動していくなかで、今回の体験がどのように生きるのかにも、今後より大きな注目が集まることになりそうです。
【関連記事】
・幻の「篠原城」が五大路子さんの語りで蘇る、10/28(土)・29(日)に公会堂で公演(2017年10月26日)
・広報よこはま港北区版で「小机城」と「篠原城」を特集、歴史や見所を紹介(2017年6月3日)
・新横浜駅近く「篠原城」跡の見学と解説、貴重なセミナーは3/26(日)に(2017年3月4日)
・「プログラミング」でロボット動かす楽しさを、新横浜企業が地元小で初登壇(2021年11月5日)※小野里勇貴教諭が「クラブ担当」として実施に尽力
【参考リンク】
・シリーズわがまち港北「第229回 港北のお城と館 ―その4、篠原城―」(公益財団法人 大倉精神文化研究所)