【地域インターネット新聞社による主催イベント案内】相鉄・東急直通線(相鉄新横浜線)で、新横浜駅からわずか1駅、隣駅となる予定の羽沢横浜国大駅(神奈川区羽沢南2)。
2019年11月には、「相鉄・JR直通線」の開業に伴い、徒歩約15分(西門・北門)ほどの “丘の上”にある横浜国立大学(保土ケ谷区常盤台)の最寄駅となり、さらに「相鉄・東急直通線」の開業により、新綱島駅からは2駅、日吉駅からも3駅というアクセス抜群の立地に位置することになります。
先月(2022年)6月におこなわれた「綱島駅東口駅前地区再開発事業」で、都市計画決定の最終段階となる「横浜市都市計画審議会(都計審)」の学識経験者の委員としても活躍していた、横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院 都市イノベーション部門教授の高見沢実さん。
2004(平成16)年、法改正により、国立大学法人へ移行した同大学。
地域戦略における3つの精神「地域に信頼され」、「地域に支えられ」、「地域の発展を支援する」を設定し、積極的に地域に密着した研究や協力をおこなっています。
2011(同23)年には、高見沢さんが教授を務める大学院都市イノベーション研究院を新設するというチャレンジも。
地域の新しい価値創造に取り組む「横浜国立大学地域連携推進機構」を2017(同29)年4月に設置するなど、同大学の研究力や教育力を地域問題解決へ還元し、大学として積極的に地域連携活動を推進するとしています。
2019年6月には「都市計画法・建築基準法制定100周年記念国土交通大臣表彰」を受賞した高見沢さんは、神奈川県や藤沢市、大磯町、東京都港区、静岡県三島市の都市計画審議会でも会長として活躍するほか、横須賀市や渋谷といった多くの地域エリアのまちづくり事業にもかかわってきました。
高見沢さんのこれまでの歩みや地域まちづくり、30年以上も過ごした横浜国立大学についてなど、詳しく話を聞きました。
(※) タイトルの「ST線」は、「相鉄・東急直通線」の通称として使用しました。
まちづくりの原点は「郷土クラブ」、高校時代は遠距離通学も
高見沢実さんは1958(昭和33)年愛知県渥美半島生まれ。
旧国鉄(日本国有鉄道、現JR)の電気技師だった父の故・昭三さんとの思い出の中に、「時々、旅行に行ったという記憶がありますね」と高見沢さん。
愛知県の名古屋市から豊橋市、滋賀県彦根市、また豊橋市、再びの名古屋市と、父の転勤に伴い転居した経験もあり、「まちを意識するきっかけが、引っ越しの都度にあったように思います」と、今につながる“まちづくり”の仕事に従事する原点を振り返ります。
特に印象深かったというのが、豊橋市で過ごした小学生時代に、「郷土クラブ」に所属していたこと。
「クラブの先生に、『豊橋の地図に色を塗りましょう』と言われて、田んぼには黄緑色というように色を塗って楽しみました。地域を知り、学べることができたことで、郷土について深く考えるきっかけになったと感じています」と高見沢さん。
地元・豊橋の「山が削られてしまう光景も印象的でした」と、「列島改造ブーム」と呼ばれた高度経済成長時代の末期も鮮烈な印象だったと語ります。
豊橋市内の県立時習館高校時代に名古屋市に引っ越したため、「名古屋から豊橋まで遠距離通学したのですが、いよいよ辛くなり、やむなく下宿もしました」と、街や電車が好きだったという青春時代についても当時の記憶をたどります。
東京大学では「都市工学」を専攻し横浜国大へ
日本に生まれたからには、一度は東京に出たいと感じたという高見沢実さんは、高校卒業後、東京大学に進学。
目黒区駒場にある駒場キャンパスに通学しやすい京王井の頭線の下高井戸駅(世田谷区)にも近い場所に下宿先を探し大学生活をスタートしたといいます。
大学2年生の時に専攻を決める際、「地球物理学や土木工学なども学びたいと思ったのですが、建築も学べる都市工学科があると知り、嬉しくなってしまって。学ぶ内容にも、知らないうちに惹かれていました」と、同科を専攻した当時を振り返る高見沢さん。
1986(昭和61)年に工学系研究科の博士課程を修了、まずは助手として横浜国立大学工学部に着任しますが、「初めて和田町駅(相鉄本線・保土ケ谷区、当時の最寄駅)で降りたら道に迷ってしまって。大学の場所もわからずおろおろしていたら、通りかかった女性が連れていってくれました」と、東京から通うには“交通不便”に感じたという横浜国大への道のり。
研究に使う本を車で運ぶために東京から移動した際も、「首都高速道路の横羽線がまずは渋滞、次に国道1号線も渋滞、途中で一旦降りたコンビニエンスストアから戻ろうとしたら、まだ車が同じ場所でした」と、交通事情も今と比べて格段と悪かった当時の風景。
横浜国立大学周辺の交通網の発達に伴い、「地方出身者の下宿が多かった当時と比べると、最近は首都圏近郊からの通学が増えて、“関東化”、また“東京化”しているようにも感じます」と、 “普通の東京っぽい”学生が増えてきたという学生気質の変化についても言及します。
「地域を最も知る」高見沢さんが描く沿線の未来像とは
一時期、横浜国立大学を離れていたという高見沢さんですが、1996(平成8)年には工学部助教授、2008(同20)年には大学院工学研究院教授、そして2011(同23)年には大学院都市イノベーション研究院 都市イノベーション部門の教授に就任。
まちづくりや住環境、それにともなう制度や、地域、都市計画についての教育研究や提言といった活動をおこなっています。
2011年12月からは「地域が連携し『住みたい都市』をプロデュースする」ブログを開設。
“都市は進化する”をキーワードに、都市や地域、都市計画についてをメインテーマとした情報発信や研究内容についての紹介もおこなっています。
「最近では、あまり遠い街(の仕事)は、手掛けなくなりました」と高見沢さん。
同じ街の仕事でも「30年から40年、時には50年以上、再開発などにかかるケースもあります。あの計画はどうなったのか、その動きがずっと後に出てくることも多く、ますます面白くなってくると感じることもあります」と、例えば建物を建てたことが“終わり”ではなく、そこからが“始まり”となり、後にその成果が出てくることもしばしば見受けられるといいます。
横浜国立大学については、「一人ひとりが“仲間”のような存在。家族のように感じることも多く、居心地の良い大学ですね」と、これまでの学びを深めてきたその環境にも“特別な想い”を抱いているようにも見える高見沢さん。
高見沢さんにとって第二、第三の故郷にもなったといえる神奈川県や横浜市、横浜国立大学周辺の街を“極めた”研究の歴史を振り返りながら、時に30年、40年といった時を超えて想い描く沿線の「地域まちづくり」の姿とは。
和田町駅や羽沢横浜国大駅、新横浜駅や新綱島駅の周辺エリアなど、沿線を誰よりも熟知する高見沢さんが描く“地域の未来像”にも、熱き視線が注がれる登壇のひとときとなりそうです。
<登壇者略歴~自己紹介>
高見沢実(たかみざわ みのる):横浜国立大学教授。愛知県出身。東京大学大学院で都市工学を学び、1986年に横浜国大に着任。一旦横浜を離れるも、1996年より二度目の横浜国大。現在は「都市イノベーション研究院」という大学院に所属し都市計画の教育と研究に従事。
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・羽沢横浜国大で対談イベント、駅前再開発の完成は「東急直通」開業後に(2019年12月2日)※高見沢さんが登壇
・【ST線フォーラム~登壇者】羽沢地区:和田勝己さん(羽沢駅周辺地域まちづくり連絡会会長)(2022年7月12日)
・※公募中止※【告知】「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を開催します(2022年6月14日)
・羽沢横浜国大駅の再開発は“羽沢バレー”と命名、まちづくりのサイト開設(2021年10月19日)
【参考リンク】
・「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を主催事業として開催します(一般社団法人地域インターネット新聞社)
・「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」特設サイト(一般社団法人地域インターネット新聞社)