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地域インターネット新聞社による主催イベント案内】来年(2023年)3月に開業を控える「相鉄・東急直通線」。綱島東1丁目エリアに建設中の東急新横浜線「新綱島駅」に隣接する場所に、一軒の“古民家”が存在しています。

歴史的建造物「池谷家住宅」前で、16代当主の池谷道義(みちよし)さん(6月16日)

歴史的建造物「池谷家住宅」前で、16代当主の池谷道義(みちよし)さん(6月16日)

一般社団法人地域インターネット新聞社(箕輪町2、橋本志真子代表理事)が今夏(2022年)8月19日(金)14時から16時20分まで(13時30分開場、終了時刻とともに予定)開催する公開イベント「相鉄東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」

第2回目となる今回の記事では、綱島地区の代表として、綱島・池谷家16代当主、綱島東小学校元PTA会長池谷道義(みちよし)さんに、これまでの歩みや、再開発が続く綱島の街への想いについてなど、詳しく話を聞いています。

() タイトルの「ST線」は、「相鉄・東急直通線」の通称として使用しています。

綱島の古民家や「桃の歴史」継ぐ池谷道義さん

池谷道義さんの小中学生時代にはまだ綱島東小学校も樽町中学校もなかったという

池谷道義さんの小中学生時代にはまだ綱島東小学校も樽町中学校もなかったという

江戸時代の1857(安政4)年主屋が建築されたという歴史的建造物「池谷家住宅」がその古民家。

16代当主の池谷道義さんは、今から百十数年も前の明治30年代に、曾祖父(そうそふ)の池谷道太郎(みちたろう)氏が始めたという「綱島の桃」の栽培を、亡き父・池谷光朗(みつろう)さんから継承し、後世にその歴史を伝えています。

道義さんは、地元の横浜市立綱島小学校(綱島西3)、大綱中学校(大倉山3)を卒業した後、日本大学高校(日大高校=箕輪町2)、日本大学商学部(東京都世田谷区)へ進学。

卒業後は、東京都新宿区に当時あったシステム開発会社に入社し社会人に。

かつて「綱島ピーチゴルフセンター」があった場所は鉄道工事プラントとして使用されていたが現在は取り壊され再開発を待つ状況となっている

かつて「綱島ピーチゴルフセンター」があった場所は鉄道工事プラントとして使用されていたが現在は取り壊され再開発を待つ状況となっている

6年間勤務した後、光朗さんが経営していたゴルフ練習場「綱島ピーチゴルフセンター」(綱島東1、2017年閉業)が多忙を極めていたため入社。

家業を手伝うことで、地元・綱島での仕事をスタートした道義さんですが、後に家業全般をよりよく運営するためにと有限会社ドギー(綱島東1)を創業。

5児の父として子育てをおこなう傍(かたわ)ら、2005(平成17)年には横浜市立綱島東小学校(綱島東3)のPTA会長に就任、2年間の在職期間、またそれ以降も、「地域の顔」としての活動を数多くおこなっているといいます。

人生の“考え方”を変えた「2つの出会い」

「人生は、“人との出会い”が全てだと思っています」と池谷道義さん。

人生は「人との出会いが全て」と感じているという池谷道義さん。「宝石・メガネ・時計の中森」を経営する綱島商店街の中森伸明会長について「商店街について本当に詳しく様々なことを知っている」と称(たた)える

人生は「人との出会いが全て」と感じているという池谷道義さん。「宝石・メガネ・時計の中森」を経営する綱島商店街の中森伸明会長について「商店街について本当に詳しく様々なことを知っている」と称(たた)える

綱島ピーチゴルフセンター在職中の1994(平成6)年9月から活動を開始した「横浜青年会議所」(中区山下町)に入会してからの日々は、今の自身の人生に大きな影響を与えたと、懐かしそうに当時の活動を振り返ります。

特に「考え方」の部分で大きな影響があったと語る道義さん。

「それまでは、地域に根差した企業を経営するがゆえの悩みも多くありました」と、地域密着の事業を手掛けていることで壁にぶつかった際にも青年会議所の仲間たちの存在が。

“利害なく”付き合える経営者のネットワークを得られたこと、その頃の仲間たちからの“知見”の数々が、今もなお自身の考え方にも影響を与え、今も彼らの存在を心強く感じる日々だと説明します。

2020年3月にリニューアル完成した東急東横線「綱島駅」の駅舎も綱島の重要スポットの一つ

2020年3月にリニューアル完成した東急東横線「綱島駅」の駅舎も綱島の重要スポットの一つ

もう一つ大きな出会いとなったのが、子育てをきっかけに参加したという「ボーイスカウト」

綱島、日吉、そして大倉山を中心に活動をおこなう「横浜第79団」に2007(同19)年から加わったことで、物事の「考え方」にさらに大きな変化が生じたと語ります。

同団は“自分で考え、自分で行動する”ことを目標としていることから、「野外活動の中で、自然と向き合い、どのように生きていくのか。夜空の星から方角を学び、明日どのように食を得て生きていくのかという、“人として生きていく”ための根源を学ぶことができたような気がしています」と道義さん。

人が社会で生きていくために必要なこと、そのヒントを数多く得られたと、子どもたちと過ごした活動の日々に、今でも心から感謝していると当時を振り返ります。

「歩き遍路」で学んだ“もてなしの心”を綱島に

新綱島駅の再開発でも安心・安全な「歩行者空間」の確保に尽力していきたいと語る

新綱島駅の再開発でも安心・安全な「歩行者空間」の確保に尽力していきたいと語る

その後、東日本大震災のボランティア活動で宮城県石巻市、岩手県宮古市、福島県南相馬市に赴いたほか、2013(平成25)年には、父・光朗さんの逝去により16代当主に。

2014(同26)年には「新綱島駅周辺地区街づくり準備会」理事長「新綱島駅前市街地再開発準備組合」副理事長にも就任し、綱島東エリアの地域まちづくりと向き合う日々が続いています。

新綱島駅周辺の工事も「進捗状況を気にしながら見ています」と池谷道義さん

新綱島駅周辺の工事も「進捗状況を気にしながら見ています」と池谷道義さん

目指すは、生前引退(隠居)ですね」と語る道義さん。

2016(同28)年からは、約1200年前に弘法大師(空海)が修行した四国88カ所の霊場をたどる巡礼の「お遍路(歩き遍路)」にもチャレンジ。

「60歳になるまでの目標として、約1200キロを歩きました。“区切り打ち”という方法で、100キロずつ3日間と分けて歩いたのですが、足のマメの中にマメができるほどの厳しい旅でした」とその過酷さについて説明します。

今年は不作のため販売できなかった「日月桃(じつげつとう)」。「綱島の桃」の歴史を継ぐ桃の栽培や販売活動を将来にわたり継続できるのかにも注目が集まる

今年は不作のため販売できなかった「日月桃(じつげつとう)」。「綱島の桃」の歴史を継ぐ桃の栽培や販売活動を将来にわたり継続できるのかにも注目が集まる

その一方で、2年間をかけて四国を歩き続ける中、「綱島に生きる中では学ぶことができない、貴重な財産を得ることができました」と、その人生の旅をしみじみと振り返る道義さん。

特に、大きな影響を受けたのが、四国各県の行く先々で強く感じたという「おもてなし」の精神。

生まれ育ったふるさと・綱島での桃の栽培や販売、また桃畑を彩る「ぼんぼりライトアッププロジェクト」といった取り組みに、これまでの人との出会い”から得られた感謝の想いを表現しているかのようにも映ります。

池谷さんの目に映る「綱島の未来」について披露する予定

池谷さんの目に映る「綱島の未来」について披露する予定

綱島の街でしかできない“おもてなし”の心を、これからの地域まちづくりにも盛り込んでいくことができれば」と道義さんが語る、これからの新しい綱島の未来像とは。

「生前引退(隠居)」を前に語る、綱島を最も知る一人としての確かな“知見”にご期待ください。

<登壇者略歴~自己紹介>

池谷道義(いけのや みちよし):綱島生まれ、今日まで綱島に生きる。綱島東小学校元PTA会長。2013年父・光朗の他界に伴い池谷家16代当主として今に至る。新綱島駅開業予定地の隣地で築160年の古民家と池谷桃園を継承、綱島東の未来ビジョンを模索中。目指すは生前引退(隠居)。

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【告知】「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を開催します(2022年6月14日)

<レポート>綱島東小が50周年祝う記念式典、青空に風船で未来への夢描く(横浜日吉新聞、2021年11月1日)※池谷さんが実行委員長を務めた

新綱島駅の工事機材でライトアップ、綱島の歴史伝える「桃の花」が満開に(横浜日吉新聞、2022年3月29日)

綱島の旧家・池谷家で歴史継ぐ「桃」が早くも開花、見頃は3/27(水)頃まで(横浜日吉新聞、2019年3月19日)※綱島の桃の歴史についてなど

<綱島東小>転入生に伝えたい綱島の魅力、まちを知り伝える特別授業(横浜日吉新聞、2018年2月7日)※池谷さんも登壇

【参考リンク】

「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」を主催事業として開催します(一般社団法人地域インターネット新聞社)

「相鉄・東急直通線フォーラム~開業後の“未来を語る”」特設サイト(一般社団法人地域インターネット新聞社)