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昭和や平成初期に神奈川県内「団地」で暮らしたり、近所にあったりした人なら、たまらなく懐かしさを感じさせられそうな記録集がインターネット上で見られるようになりました。

神奈川県住宅供給公社(中区日本大通)は今月(2022年)3月18日から、70年超の活動を節目ごとに記録したの各年代の“周年史”を電子ブックの形で広く公開を始めています。

横浜スタジアムのスタンド後方に見える白いビルが神奈川県住宅供給公社の本部(2017年6月)

横浜スタジアムの一部スタンドやプロ野球中継などでもその名を掲げたビルを目にすることが多い神奈川県住宅供給公社は、横浜スタジアム近くに本部を置く県出資による公共企業体

同公社は1950(昭和25)年、戦後復興にともなう住宅不足の問題と、木造が中心だった当時の住宅不燃化を担うために県が出資して設けた組織で、横浜市や川崎市などの県内に無数の“団地”を開発。現在は主に団地の建て替えやリニューアルした賃貸物件を取り扱っています。

その軌跡をまとめているのが「5年史」や「10年史」などの記念誌で、創設5年を迎えた1955(昭和30)年から70周年まで節目ごとに刊行してきた8冊を電子化し、誰でも見られるように公開しています。

1950(昭和30)年発行の「神奈川県住宅供給公社5年のあゆみ」

記念誌には、これまでに建てた団地や住宅の一覧暮らしの様子など、当時を伝える貴重な記録集となっており、神奈川県の団地が歩んできた軌跡を振り返ることもできます。

1950(昭和30)年に発行された「神奈川県住宅供給公社5年のあゆみ」では、冒頭に「戦後における勤労大衆の住生活が、いかにみじめなものであったかは今更多言を要しない。戦後十年を経た今日においても、住宅難は容易に解決せず……」といった文章を掲げ。年間300戸から800戸規模で建ててきた真新しい各団地の写真を載せています。

また、1965(昭和40)年に発行された創立15周年の記念誌では、「楽しい暮らしをつくる」と題して写真集仕立てとなっており、当時の団地生活がいかに先端であったのかを感じることができそう。

8冊の記念誌が電子ブック形式で読むことができる(「神奈川県住宅公社創立15周年記念~楽しい暮らしを造る」より)

これらの記念誌には妙蓮寺駅付近篠原町の物件がたびたび登場しており、「妙蓮寺団地」や「妙蓮寺第二・第三団地」、「篠原団地」といった新築間もない団地の写真を見ることができ、篠原町の周辺が集合住宅を建設するのに適地であったことがうかがえます。

建てられた当時の団地の写真などを記録(「神奈川県住宅供給公社5年のあゆみ」より)

また、現在では耳慣れない「産業労働住宅」と名付けられた団地の記録も貴重です。戦後はまだ財政基盤が弱かった企業に代わって同公社が社宅を整備し、一括で企業へ貸し付けたり、のちに譲渡したりするもので、昭和40年代までは同公社が建設する団地の多くを占めていました。

この産業労働住宅は、港北区内にも妙蓮寺や大倉山、日吉駅の周辺を中心に多く建てられていましたが、現在ではほとんどが売却され、一般住宅として建て替えられるなどしたため、痕跡を探すことが難しくなっています。

このほか、これらの記念誌に加え、1959(昭和34)年ごろからの様子を収めた「汐見台団地」(磯子区)や1969年(昭和44)年から計画が始まった「若葉台(横浜若葉台団地)」(旭区)といった今も残る大規模団地が完成するまでの記録映像も公開されました。

「公社チャンネル」では貴重な映像も公開(「汐見台団地」より)

戦後の高度経済期を支えた団地群ですが、2022年現在は歴史のある団地ほど建物の老朽化や住民の高齢化が課題となっています。

完成した当時の晴れやかな雰囲気や、生き生きとした住民の姿を記録したこれらの記念誌と映像は、懐かしいだけでなく、現在の課題を解決へ導くためのヒントがもらえるのではないでしょうか。

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【参考リンク】

神奈川県住宅供給公社「年史」のページ(各周年の「記念史」を電子で公開)

神奈川県住宅供給公社「創立70周年」のページ(これまでの歩みなど)